<< さようなら さようなら | TOP | NO 居場所 NO LIFE >>
秒速5センチメートル
『ほしのこえ』『雲のむこう、約束の場所』の新海誠の最新作。DVDで鑑賞。

これまでの印象を裏切る、現代の男女の恋愛の話。ただ、第2話で少し宇宙も絡むけど。そうそう、第2話ということで、「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」の3話構成になっているのですな。これ、見るまで知らなかった。

以下、ネタバレしまくり、というか、筋を追いながらツラツラと。

※おことわり※

多数のコメントをお書きいただいていた本エントリーなのですが、その量があまりにも膨大になっていたので、コメントを別のエントリーに分けさせていただきました。→避難所その1その2

今後もコチラにお気軽にコメントをお書きいただければ幸いなのですが、そのコメントは避難所の方に移させていただき、レスはそちらの方でさせていただく形にするつもりです。特にそれで不利益を被る方などいなかろうとは思うのですが、念のためその旨ご了承ください。
■第一話「桜花抄」


舞台は東京。小学生の遠野貴樹と篠原明里は互いに思い合っている関係。

2人は互いに引越しの多い家庭事情で、貴樹が小学校に転入してきた1年後に明里も同じ小学校に転校した。身体の弱かった2人は図書室で本を借りるなどしている間に、次第にその距離を近づけていく。貴樹は次第に身体も強くなっていくのだが、それ以上に精神的な芯が強い。クラスメイトにベタベタに相合傘を黒板に書かれるなどしても、2人の距離が離れることはなかった。

そのような、永遠に続くとも思われた日々を過ごしていた同じ中学に進むはずであった2人。しかし、明里が中学進学と同時に栃木に引っ越すことになってしまう。

演出面では、最初から物語のキーになるモチーフが現れる。冒頭の明里の、桜の花が落ちる速度が秒速5センチメートルであるという台詞と、一緒に歩いている2人が踏み切りのあちら側とこちら側に分かれるシーンだ。

そして、やはり秀逸なのは新海誠一流の風景描写。最早お家芸とも言える空の美しさは言うに及ばず、桜の描写なども実に美しい。


卒業後、別の中学に進むことになってしまった2人はしばらくの間何の交流もなかったのだが、半年振りに明里から貴樹に手紙が届く。序盤は明里が貴樹への手紙の文面を読み上げるシーンが2人の日常などを背景に続き、その手紙の中で貴樹が2学年から鹿児島に引っ越すことが明らかになる。その距離に対する不安や恐怖、そして悲しみが、震えるような声から滲み出る。そもそもが、半年振りに2人が繋がった、突然届いた最初の手紙の最後の文面からしてこうだ。

「ねえ、貴樹君、私のこと、覚えていますか?」

これはさらなるネタバレになってしまうため、深く触れることは出来ないのだけれど、この第一話のキーアイテムになる、互いに宛てた渡せなかった手紙がこの後登場する。実は小説版ではその内容が書かれており、僕はそれを見てしまった(注:一回小説を読んでいない段階で書いたエントリーで、少し変更は加わっていますが、全体的に読んでいないときに書いたままの文章が多数残っており、見る視点が複数混線しちゃっていると思います。すみません)。その内容を踏まえた――あるいは踏まえてしまった――上での深読みになるのだが、もしかしたら明里は、貴樹のいない人生をどうにか生きていこうと覚悟を決めていたのかもしれない。しかし、栃木での中学校生活は想像以上に彼女の心を磨耗させてしまい、SOSの信号を打つように、明里は貴樹に対して手紙を書いて「しまった」のではないか――僕はそう思った。後に、貴樹のモノローグで、

「手紙から想像する明里は、なぜか、いつも1人だった」

というものがあるし、的外れの予想ではないと思うのだけれど。

そして、そうやって再び繋がってしまったというのに、貴樹は鹿児島に行ってしまうという。そりゃあ声のひとつも震えようというものだ。

続いて、そうなってしまう前にせめて会おうと約束したのだろう。貴樹が電車で栃木へ向かう場面が描かれ、貴樹が眺めている車窓から見える風景から、2人がその絆を強固なものにしていった、小学校生活の回想シーンが挿入される。

「僕と明里は、精神的にどこかよく似ていたと思う」

という貴樹のモノローグは、実に簡潔に、深い理解を観るものに与えるとても優れた台詞だと思った。

場面は再び車中に戻る。その日は雪が降っていて、電車のダイヤは次第に遅れていき、貴樹の胸中に不安が広がっていく。個人的には、貴樹が電車のドアを自分で開け閉めするボタン(寒いので駅に止まっただけでは勝手にドアが開かない。降りる人がボタンを押してドアを開けるシステム)の存在を知らなかったと思われるシーンが、自分の経験と被ってなかなか興味深かった。

最後に触れることになると思うが、この映画は、自分の人生にクロスする部分が強く感傷を刺激する作品だと思うので、そういったクロスポイントが増えれば増えるほど、もしかしたら、この作品の登場人物の体験を、自分のことのように思ってしまうことになるのかもしれない。

ここで、先程触れた手紙が出てくることになる。貴樹は明里に栃木に引っ越さなければならないことを告げられた時に、自分以上に辛かったであろう彼女に優しい言葉をかけられなかった自分を恥じていた。そんな自分の、明里に伝えたかった思いの数々を手紙にしたためていたのだ。しかし、最後の乗換駅である小山に予定よりも30分以上遅く到着することになってしまった貴樹は、次の電車がホームに来るまでさらに30分近く待たなければならなくなり、暖をとろうと自動販売機の前に立つ。そして、財布を取り出そうとコートのポケットから右手を引き上げたその時、ポケットからその手紙がこぼれ落ち、風に吹かれて飛んでいってしまった。貴樹は思わず涙ぐんでしまう。

それからさらに線路の上で2時間立ち往生するなどして、電車がようやく目的の岩舟駅に着いたのは23時のこと。約束の時間は19時で、貴樹は立ち往生する車内で、思わず明里に対して「家に帰っていてくれ」と祈ったほどだった。しかし明里は、約束の待合室に待っていた。貴樹のコートの裾を掴む明里の手に、2人の涙がこぼれ落ちた。

この辺りは、まさに携帯電話がなかった頃にしか描けない情景だ。小学校6年の貴樹の部屋にスーパーファミコンが転がっているので、彼らは1981年生まれの僕とほぼ同年代かもしれない。

駅の待合室を出た2人は、桜の木の下でキスをする。序盤のスパイスが効いているシーン。そして、その後に続く貴樹のモノローグは、青臭くも、僕たちはなぜあの頃――所謂青春の時代に、異性を好きになると、他の何もかもがどうでもよくなってしまったりしたのだろうか? という、愚かしくも、人間の根底に通ずる面もある問いに対するアンサーとして、実に優秀なものだと思う。押し寄せる感動の後に、生きることに対する根源的な不安(だからこそ、誰かを求めずにいられない、という思いも含有されているのだろう)や悲しみが湧き上がり、しかしそれは次第に納まっていき、最後には明里の唇の柔らかさだけが残る――という描写は、セックスの全能感などにも通じていながら、同時にまた、ひとつの残酷な現実をも示唆しているように思える。これは後述。

それから2人は、畑の脇にあった納屋の中で一晩を明かす。正直このシーンは、冬なめんなよ! と思ったのだが(笑)、まあ、凍死してもしょうがないのでそれはよしとしよう。明里の家に泊まるという選択肢はなかったという根拠が明示されれば納まりが良かったんじゃなかろうか、とも思うけど、しかしそれが描かれていたならいたで、野暮に思えたかもしれないし。

そして2人は別れる。電車のドアが閉まる前に明里がかけた、

「貴樹君は、きっとこの先も大丈夫だと思う。絶対」

という言葉、これは解釈が難しい。これも併せて後述。そして、貴樹がキスの前と後では世界が変わってしまって、手紙をなくしたことを明里に告げなかったというモノローグに被せて、明里が鞄から貴樹に宛てた手紙を取り出すシーンが描かれる。しかし、貴樹の渡せなかった手紙に対する思いに比べ、明里の表情は複雑で悲しげなものだった。


ここで、勝手な深読みタイム。性的な衝動に流され、そうするべきものではない問題までうやむやになってしまうということは多々ある。険悪だったのに、セックスしたらちょっと仲直りしてしまうとか。しかし、それは繋がりあうって素晴らしいよねー、で済む話ではなく、数々の問題点も孕んでいるわけだ。

完全にifの話だが、貴樹はもしかしたら、唇の柔らかさだけを残してはいけなかったのかもしれない。そこで湧き上がった、明里への愛、そして、それ故に姿を現した不安や悲しみを、もっと強く抱えていなければいけなかったのかもしれない。その思いを強く告げていれば、もっと別の未来があったのかもしれないのに、キスの全能感の前に貴樹は「伝わった」気になってしまっていたのかも――そんな考えが浮かんだ。

そして、それを本能的に察したからこそ、明里は手紙を渡すことが出来なかったのでは――と考えると、途端に「きっとこの先も大丈夫」という言葉が、残酷なものに思えてくるのだから恐ろしい。この先大丈夫でなければ、2人で共にいる未来を探ることもあったのかもしれないのだから。


しかし、本当に批評性も何もない深読みでしかないとは思うのだが、感想というものは主観でしか語りようがないので、以下この深読みをベースにして、二話以降にも触れていきたい。小説を読めばはっきりするのかもしれないのだけれど、僕は手紙の文面を読んだだけなので、そこら辺は分からないのです。



■第二話「コスモナウト」


ちょっと長くなりすぎだし、第一話の最後の深読みを書くために、細かい情景描写もしておいた方がいいかな、という思いもあったので、二話以降は簡潔に行ければと。多分無理ですが(苦笑)。


舞台は鹿児島に移り、貴樹を強く思っている、同級生の澄田花苗の視点で物語は推移する。ちなみに時代描写として、リンドバーグの歌が流れたりする。そして、高校三年生になった貴樹は、携帯電話でメールを打っている。正直リンドバーグと携帯を同じ時代に押し込めるのは無茶がないか、と思ったりも(笑)。まあ、これについては仮説があるので、後で触れたいと思います。後述ばっかりでごめんなさい。

そしてこの第二話では、冒頭でも少し触れたが、新海誠といえば――といった感じの宇宙に関する描写も描かれる。種子島宇宙センターで行われるシャトル打ち上げが、重要なシーンとして登場するのだ。

しかし、冒頭は謎のシーンから始まる。草が強い風になびいている丘の上を、貴樹と明里と思しき女性が歩いている。2人は立ち止まり、女性は地面に座る。2人の目の前には、地球のような星が見え、さらに太陽のような恒星が雲の隙間から顔を出し、その光は貴樹の顔を照らす。というか、その時まで2人は完全にシルエットになっていて、その光が少しずつ貴樹を照らしていくのだけれど、女性の顔にその光が当たる前に場面は転換する。


花苗は中学で自分のクラスに転校してきた貴樹に一目で惹かれ(曰く、「遠野君は、他の男の子たちとは、どこか、少し違っていた」)、猛勉強して同じ高校に入り、すでに進路を考える時期になっている(要するに出会って4年目になるわけだ)のだが、未だに貴樹を見るだけで緊張してしまうようなピュアな思いを抱えている。どれくらいピュアかといえば、部活(中学ではサッカーだったのが、弓道になっていた)を終える貴樹をこっそり待ち構えて、偶然を装って一緒に帰るくらいピュアなのである!!

しかし、花苗は貴樹にどうしても届かない部分があることを、この二話のラストで自覚するに至るのだが、この時点でも本能的に察知しているのか、精神的なもやもやを抱えている。進路調査票をクラスでただ1人提出しておらず、好きなサーフィンでもスランプに陥り、波の上に立てずにいた。

宇宙の要素もまぶしつつ、貴樹と花苗の日常を描きながら物語は進行する。花苗の恋は、見ていて辛くなるようなピュアネスに貫かれている。それは結末を知っている今だから、というわけではなく、見ているその時点で、この恋は成就しないであろうことを観るものが察してしまうからだろう。


そして再び謎のシーンが。海辺に佇む貴樹と謎の女性。今度は陽が当たっているものの、またも女性の顔ははっきりと見えない。僕は正直、このシーンが理解できなかった。女性が明里であることは間違いないだろうし、冒頭のあの地球みたいな星だとかはなんなのか、と思っていた。しかし、その次のシーンで、一応その謎が解ける。

貴樹は灯りを消した自室でメールを打っている。その携帯電話がアップになり、

「出す宛てのないメールを打つ癖がついたのは、いつからだろう」

というモノローグが被せられる。序盤から、貴樹がメールを打っているシーンが散見され、花苗が自分へのメールだったらいいのに、などと想像するモノローグもあったりするのだが、それは送られないメールだったのだ。とは言っても、最初は全く分からず、見返した際にその携帯電話のアップを一時停止で確認してようやく分かったことなのだけれど。

そのメールは、「今朝の夢」というタイトルで、画面に映っている文面はこうだ。

「異星の草原をいつもの少女と歩く。いつものように顔は見せない。空気にはどこか懐かし」

そこは地球ではなく、貴樹の夢の中であり、女性は――当然、彼女が明里であることを貴樹も望んではいるのだろうが――その正体が明らかになっていない存在だったのだ。そのメール作成画面で、宛先にカーソルを合わせた貴樹は、しばしの逡巡の後、結局そこに何を入力するでもなく、内容を保存せずに消してしまう。

そのような暗く重い場面の後に、その直前のシーンで、明日のことも分からないと言った時に、自分もそうだと答えた貴樹との会話に勇気を得た花苗が吹っ切れた様子でサーフィンに挑戦し、花苗と同じ学校で教職を勤める姉からの進路を決めたのかという問いに対し、分からないが、しかしひとつずつ出来ることからやると決めたと答え、見事波の上に立つことに成功する場面が描かれる。

明日のことも分からないという、当たり前の事実ではあっても、全てを見通しているかのような超越した存在であったように思えていた貴樹が自分と同じくそう思っていたことに花苗は勇気づけられる。しかし、貴樹にとってはその事実は重く苦しいものであるように思え、爽快なサーフィンのシーンに、残酷なコントラストを感じたりもする。

続いて、花苗は波に乗れた今日言うしかない、と貴樹に告白することを決意し、いつものように放課後貴樹を待ち伏せして一緒に帰宅する。いつものコンビニに寄った際に、常に色々と悩んでから買う花苗が、貴樹がいつも買う種子島コーヒーをすぐに選んだ(サイズは貴樹のより小さい・笑)。

ちなみに、これは第三話のところで触れるが、この作品はある曲を出発点にして作られたもので、貴樹と明里の恋の行方を観てきた身としては、最後にその曲が流れるシーンで、いちいち歌詞と合致していることに驚かされるのだが、小学校時代のスーファミ、高校時代の携帯電話、社会人になった貴樹が描かれる第三話にてその曲がコンビニで流れているシーン(リリース自体は少し前なのだが、流れていることに違和感を感じる曲ではないし、実際に新海誠本人が、その曲の作者との対談にて、10年近く前にリリースされたその曲を、制作期間中にコンビニで何度か聴いたと証言している)の3つを貫く縦軸と、明らかにリンドバーグはずれているように思うのだが、それは、このコンビニのシーンにてバックにかかっている、『君のいちばんに…』という曲を使いたかったがためなのかもしれない。タイトルだけでも十分に花苗の気持ちを表している曲ではあるのだが、劇中で流れるこの曲の2番のサビと、それに続くブリッジの歌詞を知っている人なら、新海誠が無理をしてでも(?)この曲を取り上げたことに、異議を唱えることはないだろう。

「もう少し もう少しだけ このままでここにいて 感じていたい
大丈夫 大丈夫だよ 自分に言いきかせながら

涙 あふれて とまらないのは
べつに 君の せいじゃないよ」

憎いねこのーう。

しかし結局、花苗は貴樹に思いを告げることは出来ず、ついには「お願いだから、もう、私に、優しくしないで」と思いながら涙を流してしまう。

と、そこで、涙を流す花苗を貴樹が呆然と見つめるその時、種子島宇宙センターからロケットが打ち上げられ、貴樹の背後の空を切り裂いて行く。第二話のハイライト。これぞ新海!! そして花苗は、その光景を眺めながら、自分は決して貴樹とは結ばれないのであろうと腑に落ちる。

「必死に、ただ闇雲に空に手を伸ばして、あんなに大きな塊を打ち上げて、気の遠くなるくらい向こうにある何かを見つめて――遠野君が他の人と違って見える理由が、少しだけ分かった気がした。

そして同時に、遠野君は私を見てなんていないんだということに、私ははっきり気づいた。

だからその日、私は遠野君に、何も言えなかった」

この花苗のモノローグは、新海誠がロケットというものを、単なるインパクトのあるモチーフとして使ったわけではないということを明示している(、気がする・苦笑)。東京の大学に進学する貴樹は、あのロケットなのだ。再び明里と出会えるように、どこまでも――例え行く先が暗闇に包まれた何もない宇宙であっても、果てを目指して飛び続ける人間なのだ。花苗はその果てでもなく、またそのような人間でもない。おそらく彼女は、同じ一つ所にただあり続けることに美しさを見出せる人間であり、貴樹が空、あるいは劇場中に何度も登場する空を翔る鳥(どうやら、これにも深い理由があり、それは小説版を読めば分かるらしい)であるなら、彼女は大地なのではないだろうか。

そして続く、

「遠野君は優しいけれど、とても優しいけれど、でも、遠野君はいつも、私のずっと向こう、ずっと遠くの何かを見ている」

というモノローグとともに、あの異星の光景が描かれる。そこは序盤のシーンの続きで、女性が立ち上がり、彼女の顔が光で照らされる。彼女は、やはり明里だった。

そして、これも何度か見返して気づいたことなのだけれど、序盤のシーンでは、座っている明里を見下ろす貴樹の表情は固いものであったのだが、この場面では、立ち上がって貴樹に微笑む明里に対して、貴樹も微笑みを返しているのだ。そして、先程のメールとサーフィンのシーンのようなコントラストがここでも描かれる。そのシーンが終わっても花苗のモノローグは続き、画面の中の彼女は、恋に破れ、布団を抱いて泣きながら横になっているのだ。たとえ夢の中ででも、種子島の空を切り裂き飛んでいったロケットに乗って、明里を見つけ、微笑みを浮かべた貴樹とは対照的に。


それと、余計なお世話ながら、ひとつだけ気になった点が。空の描写が素晴らしすぎるのもあるのだけれど、ちょっとサーフィンシーンの海の描写のレベルは微妙な気がして、そこは個人的にマイナスポイントだった。



■第三話「秒速5センチメートル」


舞台は再び東京に戻る。大学を卒業し、3年間の社会人生活に磨耗していた自分に気がついた貴樹は、会社を辞めてしまっていた。

(小学校時代と同じ街?)踏み切りを歩いていた貴樹は、明里に似た女性とすれ違う。はっとしながらも、踏み切りを渡り終えた時、貴樹はこう考える。

「今、振り返れば、きっとあの人も振り返ると、強く、感じた」

そして、貴樹が振り返ると同時に、電車が貴樹の視界を塞ぐ。そこで回想シーンに場面が転換。新宿の街を歩く貴樹の携帯が鳴るが、貴樹は携帯をとらない。そして、貴樹の携帯を鳴らしていると思しき女性の姿が映し出される。

さらに転換、駅のホームにて、明里が両親に見送られている。来月に結婚式(当然ながら相手は貴樹ではない)を控える明里は、車内で流れていく風景を眺めながら、昨晩見た夢を思い返していた。その夢とは、幼い自分と貴樹のものだった。それはきっと、昨日荷物を整理していて、あの出せなかった手紙を見つけたから。

貴樹の部屋。携帯電話が鳴った。それは3年間付き合った末に別れた女性からのメールだった(先程出てきた女性)。その文面は、

「あなたのことが今でも好きです。

でも、私たちはきっと1000回もメールをやりとりして、たぶん心は1センチくらいしか近づけませんでした」

というものだった。

ここで書かれていることはおそらく正解だろう。貴樹は花苗も見てはいなかったし、実際に付き合うという形になっても、その相手と1センチしか近づくことが出来なかったのだ。桜は、1秒に5センチの速さで落ちるというのに、3年で、たったの1センチ。それはなぜか? 当然、明里がいたからだろう。貴樹には、明里しかいなかったのだ。貴樹は会社を辞めた理由をこう振り返る。

「この数年間、とにかく前に進みたくて、届かないものに手を触れたくて、それが具体的に何を指すのかも、ほとんど脅迫的とも言えるようなその思いがどこから湧いてくるのかも分からず、僕はただ働き続け、気づけば、日々弾力を失っていく心が、ひたすら辛かった。

そしてある朝、かつてあれほどまでに真剣で切実だった思いが、きれいに失われていることに僕は気づき、もう限界だと知った時、会社を辞めた」


転換。続く場面はコンビニに入る貴樹。店内には山崎まさよしの『One more time, One more chance』が流れている。そこで、貴樹と明里のモノローグが交互に重なり、あの雪の日に2人は思いを馳せる。貴樹も明里と同じ夜に、2人の夢を見ていたのだ。コンビニで貴樹が立ち読みしている雑誌には、あの日種子島から打ち上げられた宇宙探査衛星(多分同じもののはず)が、ついに太陽系外へ達したニュースが掲載されていた。

とそこで、突然『One more time, One more chance』のボリュームが上がり、映画のメインBGMになる。そこからの歌詞と断片的に挿入される映像群は圧巻。「言えなかった 好きという言葉を」のところで、種子島から去って行く貴樹の乗った飛行機を花苗が見上げる場面が被さるのはずるい。主役かと(苦笑)。なかでも、互いの手紙のやりとりが次第になくなっていく様子が胸に刺さった。これはよく分かる気がした。互いの思いが薄れたわけではなくても、次第に届かなくなる手紙。少なくとも貴樹は、手紙の行き来がなくなっても明里のことだけを見ていたことを、第二話を経て我々は知っているのだ。


ここで、第一話の感想の最後に書いた深読みを畏れながら思い出していただきたい。もしも、明里の伝えた「きっとこの先も大丈夫」という言葉に、私がいなくても大丈夫だという思いが込められていたのであれば、あまりにも悲しすぎるではないか。ちっともそうではなかったのに。貴樹は夢の中で、もしかしたら、宇宙を駆けた果てであるのかもしれない世界で、明里を探していたほどであったのに。

もちろんそのような悲しい達観でなくても、人は時間とともに傷を忘れることが出来る生き物だし、明里が結婚を決意するような相手に出会い愛し合うに至ったことに納得することは出来る。というか、そうであって欲しい。「貴樹君はきっと私がいなくても大丈夫だから、私は私を必要としてくれるこの人と一緒に過ごそう」――そのような思いがベースでなければいいと心から思う。しかし、そう思うのだけれど、一度そのような深読みに至ってしまった以上、僕はそう思い込んでしまって、余計に悲しくなってしまうのだ。

しかし、ここで僕を救ってくれたのが花苗の存在だ。友人がこの映画について、

「鑑賞中から「これは男子向け映画」という印象もまたある。
女子は「男子の過去感傷」に好意的ではない。
第2話に登場する少女は「男がつくる理想憧憬少女」だった。
この少女に、女子は鼻白むのではないか。」

と、mixiの日記にて書いており、実際に僕も、最初は花苗の存在を描くことにそこまでの必然性があったのだろうか。鹿児島に行ってからも、貴樹が明里を思い続けていたことを描くだけなら、さや当てのように彼女を登場させることもないのではないだろうか?――と思っていた。しかしその友人は、

「「感傷喚起」がこれでもかと押し寄せてきて、頭の中がごっちゃりしている。
興奮としかいいようのないものがまだ持続している。
(ただ、それは「感動」とは別種のものである)」

「いい映画を『観た』というより、いい映画を『観てしまった』。
たぶん、あと数年は観返せない。
この「興奮」を受け止められなるにはまだ余裕がない」

とも書いていて、僕も違和感を感じはしたものの、その美しい風景描写と相まって、とても強い印象を受けはしたのだった。そしてその印象を引き摺るように見返し、気になるシーンのコマを止めることにより、新たな発見と深読みに出会い、さらに心が揺さぶられることになった。

そこで僕が(勝手にそう)感じた、貴樹と明里のすれ違い方の救いの無さに対する感傷を、最もファンタジーの中にいるように思えた花苗のストーリーが、程よく中和してくれるのだ。

当たり前と言われればそれまでの話ではあるが、2人が互いに願いながらもずっと一緒にいることが出来なかったように、花苗も、貴樹と互いに好きあう関係にはなれなかったのだ。報われないことはあるという当たり前の、しかし、つい貴樹と明里に強くフォーカスして、必要以上にそれを悲劇的に受け止めてしまいそうな自分に、花苗は適度な現実的なブレーキをかけてくれた。

そしてその現実感が、さらに2人の思いの手触りを確かなものにしてくれたと言える。


ラストシーン。電車が通り過ぎた時、明里はそこにいなかった。我々はつい先程見たばかりの、あの頃はそこで踏み切りよ早く上がれとばかりに待ち構えていたであろう、あの少女はもういない。しかし貴樹は、一瞬驚いたような表情になるものの、ほんの僅かながら、微笑みを浮かべ、踏み切りが上がると同時に確かな足取りで歩き出した。

もしかしたら、ようやくここで初めて、貴樹は明里に対して「きっと大丈夫」だと思うことが出来たのかもしれない。そうは言っても、一部で囁かれているように鬱エンドと捉えることも充分に可能だとは思うのだけれども、しかし、やはりこれはハッピーエンドなのだろう。きっとここから、2人はそれぞれの人生を、力強く歩み始めることが出来るに違いない――特に根拠もなく、直感的に僕はそう思った。

単純に、男はぐじぐじ引き摺りやすくって、女性はそこら辺強い、って思ったりもするんですけどね(苦笑)。


まあしかし、何とも妙な残り方をする作品であり、とにかく興味を持ったなら見ていただければ、とは思います。誰しもにオススメ、というわけではないのですが。

ただ、この映画は、第一話のところで書いたとおり、自分の記憶がベースとなって(別にそんな甘酸っぱいエピソードなんぞなくても)、強く感傷を刺激される作品であると思います。誰かを好きになり、その思いが届かなかったことがある人であれば、心のどこかしらを突っつかれる何かがあるのではないでしょうか。


まあ、そんなこんなでこんな長いの全部読んでくださった方がいたなら、ごめんなさい&ありがとうございます。ご覧のとおり、自分でも全く整理がついていないので、小説版読んでみようかな。小説版を読んだら、何だか自分の中で良い具合に納まりがつくのではないかなーと思います。



※最初にも書いていますが、あまりに多数のコメントをいただいてしまい、コメントと当方のレスは別のエントリーに移させていただきました。→避難所その1その2

今後このエントリーにコメントをいただいた場合は、しばらくしたら上記エントリーに移させていただきます。


=ささやかなお願い=

コメントをいただける際にはできるだけお名前のところにも何某か入れていただけると助かります。


      
はてなブックマーク - 秒速5センチメートル | 02:27 | オススメ | comments(31) | trackbacks(0)
コメント
新海作品は美しくて好きなので、ずーっと見ようと思っていたのに、なかなかチャンスがなかったのですが、ようやく見ました。こんな内容だと知っていたら、奥さんと一緒に見なかったのにw
私の場合も出会いは中学のときでした。別の高校に行き、なんだか曖昧な状況のまま、思いだけが募りました。その思いを伝えた20歳そこそこのとき、結婚することを知らされました。もうはるか昔のことなのに、この作品を見て、そのときの喪失感と後悔がそのまま戻ってきて辛かったです。(で、いろいろ探して、こちらにたどり着いたという訳でして)
しかし、そこから得た教訓「好きなら好きと言おう!」は、私にとって大切なモノとなりました。

新海監督の次回作にも期待していますが、今度はとりあえず一人で見ますw
2010/11/21 11:22 PM by うち
コメントありがとうございます。

「好きなら好きと言おう!」は本当に、素晴らしいです。傷つくくらいなら言わないでおく、っていうメンタリティ自体は凄く理解できるんだけど、最終的には絶対に伝えていったほうが帳尻合いますよね(苦笑)。

しかしその真理には自分可愛さゆえになかなか傷つかないと到達できないもので、うちさんの二十歳の喪失も、言葉は悪いのですが、良い別れであったのだと思います!
2010/11/26 5:53 PM by ハセガワ
はじめまして、今更ながら秒速5センチメートルという、優れた映像作品に出会い、そしてこの作品の他の人の解釈を少しでも多く知るために検索をかけ、ハセガワさんのサイトに畏れながらも参上致しました。

さて、この作品についての私の感想ですが、最後のシーン、皆さんはハッピーエンドや、バッドエンド(所謂鬱エンド)のどちらかの解釈をお持ちのようですね。

無論、私も前者の解釈を支持している者ではありますが、何といいますか。世に言うハッピーエンドと、この作品のハッピーエンドは、僅かな差異があると考えています。

例えば、御伽噺の最後。「―こうして二人は、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」で終わるものは、其処が絶頂期で、その後の人生は、特に描くことがなく、しかも読者は恐らくそういった作品に対しては、「その後など考えたくも無い!」と言う感想を持つ人までいると思うのです。


しかし、この作品は、あえて最後を山(起承転結の結の部分)をなだらかなものにすることで、登場人物たちのその後を、読者、または視聴者に想像させるようにしている。
つまり、結びをあいまいにすることで「人生はそれでも続いて行く」
という(これはハセガワさんが他の方のコメントにも書かれている通りで)彼らの生きてゆくそれぞれの道を想像させようとしているのだと思います。

しかし、たまたまあるきっかけで見つけてしまった作品が、まさかもう数年前のものだったとは・・・科学の発達著しいこの時代には、三年もあれば昔の事となってしまう風潮があるようで(パソコンなど)
私も若い方の人間で、多少このような風潮に飲み込まれている所がありますが、やはり良いものはよいと言うことでしょうね。

私も、彼らのような恋愛がしたかったです(ボソッ

好きな女性は、高校二年の身でも、過去に三人ほど居ましたが、私がどうにもおくてなせいもあり、どれも片思いで、一言二言ぐらいしか話したことはありませんでした。そうしているうちに、一人目は小学生のころでしたが、自分よりもふさわしい人がいると、何故か無理矢理に諦めをつけ、二人目は卒業と同時に姿を見かけることもなくなり、(このときは本当に、山崎さんの曲が流れた時の主人公の気持ちと同じ心持で居ました)三人目は、時々向こうが遠くから僕の目を見てくるのにやられ、(思い込みかも・・)そのときも何故か一人目と同じような心境で、今はなるべく目をあわさないようにしています。同じクラスですけど・・・

何か恋愛相談みたいになってしまいました。すみません。
こういったことを思い起こさせるくらい、この作品に魅力と言うか、見た人間を感じ入らせ、人間としてのグレードを上げるものを秘めているように思えます(汗

いつの日か自分も、将来の夢である小説家になって、このように人に何かしらの事を気付かせることができる作品を紡ぎ出したいと思っています。どんなに苦しい事があっても、餓死したとしても、現実味が無さ過ぎると言われようと、そういった苦労を乗り越えて、いえ、
そういった苦労を乗り越えた人間だからこそ書けるものを、私は作りたいです。(こういうのを若気の至りと言うのでしょうね)

個人的なことまで書き込んでしまい、申し訳ありません。
ハセガワさんの解釈と、他の方のコメントに対する返信がとても親切で、つい興奮してしまいまして・・・勢いでそのまま書いております
もし読んでくださっているならば、感に堪えない思いです。

人の考えと言うのを知るのは、好きです。ですからハセガワさんの解釈を読むことが出来る今と、解釈を作って公開してくれているハセガワさんに感謝です。長文すぎて、申し訳ありません。

さて、明日の学年末考査頑張ろっと。
2011/03/07 3:05 AM by たびびと
コメントありがとうございます。

テストはどうだったでしょうか? 小説家は仕事しながらでも目指せる、ある意味ではリスクの少ない夢なので(また規模にもよりますがデビューできても仕事を続けられますし)、勉強も頑張ってくださいね(笑)!

物語のピリオドはまさに仰る通りで、作家は基本的にまずどこで物語を止めるかを考える方も非常に多いと思います。もちろん人生の最初から最後まで、を描くという形のピリオドもありますが。

巷間に多々溢れているハッピーエンドとされる物語も、そのまま再生を続けた場合悲劇が起こる可能性は充分考えられます。『耳をすませば』の時間を止めなければ『秒速〜』になることもあるでしょう。また離別の後により大きな出会いもあるかもしれません。加えて言うなら、死別も含めれば全ての愛しあう人々は必ず別れる日がくるわけで……。

で、新海さんは意図的に結末をはっきり描かない方のようで(未視聴かもしれませんが)、『ほしのこえ』でもその後主人公2人が出会えるかどうかは敢えて明言されませんし、『雲の向こう〜』でもヒロインは目を覚ましますが、その後主人公2人が地上に戻ったら日本がとんでもないことになっていてもおかしくありません(笑)。そして『秒速』は言わずもがなですね。

しかし、ある出来事の結末(それも触れたものが勝手に打っただけのピリオドですが。もう日本のニュースではさっぱり流れないだけで相変わらずアフガニスタンにたくさんのアメリカ兵がいるように)、というのはどんな人生でもある程度見られるもので、結局観る者をスッキリさせないが、しかし心に残るというのは、観た後に結末について考えさせられる作品なのだと基本的には思います。人間の中で色んな考えが反響することで、次第に大きくこだましていく何か、に表現・芸術の存在価値があるのではないかと。

というか、実写の名作ではむしろ常套と言える形だと思いますが、もしかしたらアニメ映画ではやる方が少ないのかも――などと、あまり映画を観るほうではないので思ったりもします。

たびびとさんも自分で自分の生き方にどのような区切りをつけていくのか、が小説家になるためには問われるのではないでしょうか? なんて(笑)。
2011/03/09 2:18 PM by ハセガワ
 私は先日、いまさらながらこの作品を見たのですが、切なさと悲しみを含みながらも暖かく淡い空気に包まれたようで、知らずため息を漏らしていました。あのラストシーンは賛否両論だそうですが、私はあれでよかった、というよりああでなければ冷たさと淡さが混在する雰囲気はありえないと思っています。
 苦難を乗り越え、その先の愛をつかむ純愛物語は確かに美しく、見るものを感動させます。しかし、その感動は考えうる最高の愛の形(つまりは空想)が生み出したものではないでしょうか?
 「秒速5センチメートル」にて描かれたのは誰でも味わう初恋の淡さという現実であり、現実だからこそ見るものが抱くのは感動ではなく、表現出来ないもやもや複雑な気持ちだと思います。このような感情を抱いた作品はいままで鑑賞した本や映像の中でも本作しかありません。いくら純粋で、互いを好きでいても離れ離れで時間がたてば自らの生活の中に埋もれる。大切だけれどもそれは人生の中の思い出にっていく。おそらく、明里は今でも貴樹のことを大切に思っているでしょうし、思い出すこともあると思います。けれども、会わない間にも人生は進み、もう自分には今の生活がある。それは貴樹も同じこと。長年交わらなかった道はもう交わらず、いま出会ってしまえば交わらない切なさだけが残ると思って明里は去ったのだと思います。だって、「貴樹君は、きっと大丈夫」なのですから。
 貴樹君も明かりを大切な思い出として思い出しながら(というより忘れられないひととして)、これからの人生を歩いていくんでしょうね。それは最後の微笑みが証明していると思います。
 長くなりましてすみません。
2011/04/09 11:17 AM by 鳥
連続で申し訳ありません。いくつか誤字がありましたので・・

「大切だけれどもそれは人生の中の思い出にっていく」

→明らかに変ですね(汗 「思い出になっていく」です。

「明かり」→「明里」

自分のタイプ能力のなさを恥じる今です・・・
2011/04/09 12:35 PM by 鳥
コメントありがとうございます。

誤字は普通に判読できるものでしたしそのようにお気になさらず(笑)。私もよくぶちかまします。

恋愛のリアリティという点に関しては、確かにおっしゃる通りだと思うのですが、もうひとつ、物語のピリオドをどこに置くのか、この作品の特徴なのだと思います。我々の人生に奇跡的な純愛物語が降ってくるのは、可能性的に低いことながら、絶対にないわけではないし、むしろ現実のほうが強烈な恋愛事情もあったりするわけです。

例えば本作も、小学校時代の明里の転校前で区切っていれば(それは無茶ですが・笑)奇跡的な甘い物語のできあがりですし、純愛物語もエンドロールの1週間後に壮絶な破局を迎える可能性もあるわけで……。

そんなことを考えると、人生まるごとひとつの尺度で考えると、個人的には、「むしろ最大公約数としては最も希望のある恋愛物語の区切り方と言ってもいいのでは?」などと、最近では思うくらいになっております。「大切な思い出」のある人生、って多分それだけでありがたいものなんでしょうね。
2011/04/12 10:14 PM by ハセガワ
初めてまして。私事といいますか、他の皆様のコメントを全て見させていただきまして、長くはなりますが思い切って書かせていただこうと思います。(文章構成力はあまり無いので見づらいかもしれません。ご覧になるのを飛ばしていただいても結構です。)この秒速5センチメートルを知ったのは、Amazonさんでコミックスを見ていた時にふと見つけたことです。見つけてから数か月は購入せずにいたのですが、1か月くらい前に購入し、昨日コミックス1巻を見させていだだきました。見終わり、2巻が欲しいと注文しました。
ですが、短編アニメーションとして、3話構成でアニメになっていると知り、我慢できずに3話全てコミックスを1巻見た後に見てしまいました。ほぼ、何も考えずに見たのですが、本当に久しぶりに「苦しい」「切ない」「悲しい」と思いました。最初に見た感想は上記の三つの気持ちです。「こんなにもピュアな恋愛模様なのに、こんなにも好きなのに、結ばれることはないのか?」と。桜花抄では、他のみんなには分からない、転校生同士でしか分り合えない気持ちを互いに共有し、好きという気持ちはまだ分からなかったかも知れないけど、それでも毎日・これからずっと一緒にいられると思っていた。だけど、
明里が栃木に転校することでお互いの距離が離れると同時に心の距離が離れる。一緒にいたい、傍にいたくても子供であるということに敵わず、転校を余儀なくされる。半年後に、明里から手紙が届くことで距離が少しは縮まったかに思える。色々なご意見があるかとは思いますが、僕が明里であったのなら、知らない土地での半年間の自分のこと・不安・貴樹の近況等を手紙
を通して「知りたい・伝えたい」と思い、手紙を出すと思います。少なからず、明里もそうであったのではないかと思います。ただ、「神様は時に残酷である」と思います。全てがそうであるとは思いませんが、貴樹の鹿児島への転校は、明里と貴樹の心の距離を決定的なものへとしてしまった。
コスモナウトでは、種子島での明里のいない生活と花苗の視点から見た貴樹への気持ちの描写が描かれる。
貴樹が好きでどうしようもないけど、何処か遠くを見つめている貴樹に告白することが出来ない。携帯でメールを送っているように見えるから、その送信相手が自分であればいいと切に願うピュアで優しい子。話すだけ・一緒に帰れるだけでも嬉しいと思えるのは、凄く良いことだと思います。だからこそ、貴樹に優しくされればされるほど、苦しく・辛くなって行ってしまったんだと思います。でも、コスモナウトの最後に、花苗は「それでもこれからも、遠野君のことを好きでいると思う(?)」だったでしょうか。恋は、「苦い・苦しい・切ない・悲しい」という事だと思います。だから、恋愛に対して、「臆病」になったり「恋愛したくない」という気持ちが出てくるのだと考えます。でも、花苗にとっては凄くいい経験なんだと思います。好きな人と一緒になれなかったというのは残念でなりませんが、それでも「人を好きになる」ということが、どれだけ「苦しく」「切なく」「悲しく」「嬉しい」のかを。僕自身、恋愛の経験は少なすぎますがこの気持ちは皆さん、必ずお持ちになる事だと思います。
最後の「秒速5センチメール」では大学を出て就職したが、「自分が何の為に働いているのか?何をどうしたいのか?」という見ている視聴者にも問い掛けているように思えました。貴樹自身、あれから付き合った女性がいたが、「1000回メールをしても心は1cmしか近付かなかった」というように貴樹は彼女を見ていたわけではなく、昔の綺麗な思い出に浸り、今の自分、ましてや付き合っている彼女さえも見えないほど憔悴しきり、現実から目を背け逃げる生活を送っていた。ただ、彼は自分を認めてくれる人が欲しかったんだと思います。明里という自分を認めてくれる女性を。ここで、皆さんの意見もかなり分かれると思います。「男のくせに」とか「女々しい」とか「いつまでも昔のことを引きずりすぎ」と。僕はそうは思いません。「自分を認めてくれる人は、はたしているのか?」いちがいにとは言い切れませんが、多くはないと思います。自分も「いるか?」と聞かれれば、「いません」と答えます。貴樹にとって明里がどれほど、「大きな存在」で「自分を認めてくれる唯一の女性」あるかは皆さんご承知の通りだと思います。(人それぞれですが・・・)だからこそ、今の貴樹には明里が必要であったんじゃないかと思います。ただ、厳しいことを言ってしまえばそれは「甘え」になる。明里なら自分を救い出してくれると。結果的に、何をどうしたいのか分からず、会社を辞めて途方に暮れる。「どのくらいの速さで歩けば君に追いつけるか?」貴樹自身分からない。それで、あの踏切で君を見て振り向き、振り向いてくれると思った
2011/05/15 3:38 PM by ogusio
コメントありがとうございます。

最後が切れてしまっている感があるのですが、途中だったりしなかったでしょうか?

とはいえ書かれている部分で思ったことは、認めるというのは個々の酌量でしかなく、何をもって認めている・いないというのは非常に難しいものなのかな、と思います。「自分を認めてくれる唯一の女性」というのは、単に認めるだけなら花苗だってそうだったかもしれない。

意地悪な言い方ですが、自分で自分の人生の可能性を狭めてしまい、結果水野さんなんかも傷つけてしまったのが貴樹なのかな、という思いもあります(そのエゴが悪いというつもりはありません)。ogusioさんも一度視点をフラットにして周囲を見れば、ご家族や知人のどなかたが、ogusioさんのことを「認めて」いるのではないかなあ、などと失礼ながら思ったりしています。

こう言うと屁理屈みたいですが、そもそも「認める」とは「認識」の認であり(識は知ることですね)、単に「存在を知覚する」ことを意味します。そんなレベルだったら認めてもらわなくてもいい、となってしまうかもしれませんが、言葉のままの意味で言えば、ogusioさんを知っている人は皆ogusioさんを認めている。それって結構希望に満ち溢れたことなのではないかなあ、と個人的には思う次第です。
2011/06/04 3:58 PM by ハセガワ
コメントありがとうございます。途切れていたのに気づいたのは載せてからでした。すみません。
「秒速5センチメートル」を見た後の1週間は、かなり酷いものでした。仕事をしていても、ふと気づくと「秒速5センチメートル」の事を思い出してしまい、気を抜くと今にも涙が溢れそうになりました。「好きな人を離しちゃいけない」「何年たつかわからないけど、迎えに行く」とかそういう事にはならなかったのかなって、日に日に思いが強くなりました。でも、「相手のことを好きだど・・・好きだから彼(彼女)の幸せを願うことが自分ができる今精いっぱいの事」と思い、貴樹と明里はお互い別々の道を歩んだのかなと。そうだとしても、やっぱり好きな人には「好きだ」と、「一緒にいたい」と告げるべきだと思います。私は後悔したくないから。(後悔というか、私は好きな人とは一緒にいたいと考えるからです。)
それにしても、中学1年生であそこまで一生懸命に相手を思い、恋をするって実際ないんじゃないかと思います。自分の中学1年生のころと比べると貴樹と明里は凄いなと感じています。「たかが、アニメにそこまではならない」とおっしゃる方も多々いらっしゃるかと思います。それでも、自分にとってこんなにも影響を(良い意味と悪い意味両方含めて)与えてくれる素晴らしい作品に出会えた、と感謝しています。1999年で高校3年生の方たちは、今年30歳になられる方たちで携帯もなく、手紙という媒体でコミュニケーションを取っていた時代を歩んできた、ちょっと羨ましいといいますか、良いなって思います。今は専ら、携帯やパソコンでのやり取りに変わり、昔の手紙等でコミュニケーションを取っていた良き時代(その当時の人たちがどう思いながら生きていたのかは分かりませんが・・・)とは違います。時代が変わってきているのは分かるのですが・・・。
「秒速5センチメートル」を見た後、あれからアニメは1回も見ていません。というより、見れません。見ると、また色々と泣いたり・考えたりしてしまいそうで。コミックスも1・2巻とも読み返しはしていません。一人では見る自信がないんです。と言えば、他の方たちは「そこまでは・・・」と首をかしげるかもしれません。まあ、単に自分自身弱いだけの話なのですが・・・。恋は、喜怒哀楽を全て感じれることだと思います。楽しいだけではない、辛く、苦しいこともある。怒るときだってある。でも、人を好きになり・人を想うことは凄く良いことだと思います。一生懸命に恋をしてみたいと思いました。長くてすみません。
2011/06/24 11:36 PM by ogusio
お久しぶりです。「私のこと、覚えていますか?」(笑)
 再びこのサイトを訪れたのは、「秒速〜」の解釈でいまだにピンと来ない部分があるからでして・・・。それは、「貴樹は13年間、あの雪の日に縛られ、明日へ進めなかった。一方で明里は進むことが出来た。この差はどこで生じたのか?」ということです。
 出会った時以来、2人は互いに依存しあいながら生きてきました。故に、栃木に行った明里はその孤独に耐ええず、貴樹に手紙を送ったのでしょうし、二度と会えなくなるのが信じがたい恐怖であると感じたから(それが意識されていたかはともかく)、貴樹も明里に会いに行ったのでしょう。そして、雪の駅で再会し、キスを交わす。この瞬間に貴樹はこれからも明里と一緒にいることは出来ないということを痛切に感じています。ここからはコミックスの描写を入れますが、帰りの電車の中で貴樹は、「時間の流れに負けていつか、明里の声すら自分は忘れてしまうのだろう・・・。それに抗うにはどうすればいいのか。どうすれば君にまた会えるのか・・。」と言っています。思うに、貴樹はこの時点で明里の存在が薄れてしまうことを完全に拒絶し、それを貫いていこうとしているように思われます。
 コミックス1巻の終わりには明里の描写が存在します。ある男子に告白され、それに対し「ごめん」と答えます。男子はそのまま去ろうとするのですが、明里は迷いながらも呼び止め、「暫く返事、待ってくれないかな。」と言います。ここでわかるのは、明里のなかで貴樹の大切さを感じながらも、時がその思いを薄れさせ始めているということです。このことに明里は不安を感じ、「私達はもう思い出なのでしょうか?」とつぶやくのです。明里も貴樹と同じように、思い出を忘れたくないのです。
 とすると、ここまでは2人とも同じ心情。どこで差が生まれるのか?
私は貴樹が明里を忘れるのを「拒絶」したというのがキーだと思っています。あまりにも明里の存在を保持していたいがために、それが強迫観念となり、ただ忘れないということのみを貴樹は追いかけてしまったのではないかな、と。時の流れには抗えない以上、ますます自己嫌悪に陥るという負のスパイラルです。対する明里はですが(明確な描写が存在しないため、私の推測です)、思い出が薄れることを受け入れたのではないかと思います。たとえ薄まっても、自分が貴樹とかけがえのない時を過ごしたという事実は揺らがず、貴樹は自分の一部であると認識できたからこそ、あの雪の日にとらわれることなく、自分の人生を歩けたのではないでしょうか。常に貴樹を支えにして。
 拒絶し、思い出の殻を守り続けようとした貴樹と思い出の本質を理解し、昇華させた明里。その差が、2人の 進み方が大きく異なった理由だと一応は思っています。
 よく、この話を「女性は上書き、男性は記録」という風に表現する方がいます。私は明里が大人になっても貴樹の幸せを祈っている以上、そんなことはないと思いますが、女性と男性の違いも大きいかなとは思っています。明里のほうが先に思い出を昇華できたのは女性であるからかもしれません。「秒速〜」において、明里と貴樹は女性と男性の象徴として描かれているように思われます。
 長くなりましたが、以上が私の考えです。まだ高3で、人生経験もないからここまで悩んだのかもしれませんね。
 編集長さんの考え、お待ちしています。
2011/06/26 9:25 AM by 鳥
>ogusioさん

コメントありがとうございます。

まあ何というか、私は恋に限らず人生クソッタレなことや救いの欠片もないような人生があったりする辺りが正直たまらなく好きでして、ありとあらゆるものに喜怒哀楽があって、最高で最低だなあと思うのですが、同時にやはり色恋ごとには人間の業が凝縮されているなと感じたりもするので、ともあれ一生懸命に恋をしたいと思うに至ったことを、心よりお喜び申し上げます。真面目な話、新海監督もそう伝えたら喜ばれるのではないでしょうか。

先般、監督ご本人が、ロマンチックラブを否定する作品を作りたかったと仰っていまして(最新作『星を追う子ども』の公式サイトのイベントリポートの、キネカ大森でのイベントのところで読めます)、この映画はハッピーエンドであると確信する立場の私としては、ほら来た! って感じだったりするのですが(笑)、要するに秒速のような物語の体裁で、あんな終わり方でもハッピーエンドであると言えるのは、それだけ人生というものが素晴らしいからだと、(一緒にするのは失礼ですが)私や監督が信頼しているからなのです(同時に鬼のように残酷でもありますから、あの後微笑んで歩き出した直後に、貴樹が車に撥ねられて死ぬ可能性もありますが)、多分。変な話、ロマンチックラブが成就したとして、それは当然素晴らしいのですが、確率の話で言えば、もっと素晴らしい人と出会えたかもしれないのにそれを不意にしてしまったという可能性もあるわけで。

なので、色々と恋したり遊んだりして、たくさんの人生に触れて、たくさんの可能性を知ってほしいなあ、と老婆心ながらに思っております(私がまさに今年30なので、コメントを拝見する限り年下であらせられるのだろうと判断した次第です。上から目線ですみません)。一生懸命恋して、おもいっきり振られようが、上手くいったと思ってたら二股かけられていようが、死なない限りは、人生は常に素晴らしいものだと、基本的には思っております。


>鳥さん

粋な書き出し、ありがとうございます。でも、すみません、忘れてました(笑)! というか、ハンドルネームにはどうも目が行かないもので、すみません。内容は後で見たら記憶しておりました。嘘じゃないです。

まあ、いきなり興を削ぐようなことを言ってしまいますと、新海監督の作品のメディアミックス版は、基本的に監督は作家さんに完全にお任せしているらしいので、コミックス版に関しては、清家雪子先生の解釈である――と考えるのが正しいように思います。

もちろん、それが間違えであるというわけでもないのですが、表現なんてものは観る人それぞれの中で更に発展してこそ本物という側面もあると思うので、鳥さんがそれだけ思い悩み考える時点でもう役目は果たされており、正解は出ているのだと思います。ただ、この世界においては、数学みたいに解が1つとは限らない、というだけのことで。

とはいえ、その自分なりの正解を出すために、私なんぞの考えを気にしていただけたのであれば光栄ですし、少し言及させていただければと思うのですが、私の考えはもう簡単なもので、本文中にも書いていますし、鳥さんのコメントにもあるように、男性と女性の違いは本当に大きいと思います。

というか、鳥さんはコメントを拝見する限り、女性ないしは男性にしてはかなり女性的な視座の持ち主だと勝手に思っているのですが、まあごく普通のしょうもなさを持った男から見たら、そうとしか言いようがない! みたいな身も蓋もないところがあったりします。また真面目に社会学やら生物学やらの視座に立っても、真面目に細かく掘り下げることができる違いがあると思っているのですが、それを言葉で補強できるほど私は頭が良くないので、そこら辺はご勘弁いただければ幸いです。

また、一番大きいのは、貴樹が小山駅でしたか、乗り換え待ちの駅で、手紙を飛ばされてしまったことだと思っています。手紙の内容は監督著の小説版に書かれていますが、(まあ、これも本文中に書いていた気がするのですが)あの手紙をなくさずに、明里に渡せていたなら、明里は「貴樹は大丈夫じゃなかった」と思い、貴樹のようにグズグズと引きずる度合いが大きくなっていたかもしれません。ただ、引きずっていたところで、貴樹が水野さんなんかと付き合ったように、結局他の人と結婚してはいたかもしれませんが。でもその場合は、あの最後の踏切の女性が明里本人だったなら、いなくならずに振り返っていたかもしれませんね。

まあ、こんな意見は、監督の真意とは思いっきり離れているように思ったりもするものの、仮に手紙が風に飛ばされたのが全ての原因であったのであれば、鳥さんはもしかしたら、それは残酷すぎる、とかご都合主義すぎる、と
2011/07/06 4:07 AM by ハセガワ
 コメントありがとうございます。読み返してみると、自分の文面からでは性別を判断できませんね(笑)。鳥こと私は男です。
 自分は結構貴樹よりだったので女性の視座と捉えられたのは意外でしたね。まあ、私自身フェミニストチックなところがありますのでその影響かなと思っています。
 すみません、書くべきことが浮かんでこないので今回はこの辺で。
PS
 20代後半から30代で「秒速」を見れば、また解釈は違ってくるのでしょうね。人生経験を積んで、また見たいと思います。
2011/08/05 11:04 AM by 鳥
DVDを見終えて、結末が悲しすぎたので、何かいい解釈はないかと思って
いたらここにたどりつきました。

いくらお互いに好きでも、一緒にいられない相手もいます。
ハッピーエンドかバッドエンドか、という議論もコメントを見ているとたく
さんあるようですが、貴樹と明里が、もしお互いにずっと好きでも、一緒に
いて幸せにはなれなかったのではないかと思うのです。

私が一番印象に残ったのは「僕と明里は、精神的にどこかよく似ていたと思
う」です。
高校時代、本当に精神的によく似ている相手がいました。私は山だらけの田舎出身で、田舎というのはクラスメイトの親についてよくわかってしまうも
のです。私は地元ではほんの少し名の知れた家で、彼の父親は無職でした。
私は家の会社を継ぐため、彼は家族の将来を支えるために一生懸命勉強して
いました。そのプレッシャーがお互いを近づけたのかもしれません。
彼とはよく二人で遊んだりグループで遊んだりしていましたが、ひとりの
女の子が私と彼を引き離すため自殺未遂のまねごとや私への直接的・間接的
な中傷を繰り返しました。私は堪えられなくなり、彼から離れました。(最
初は彼も守ってくれようとしましたが…今思うと彼女は病気だったのだと思
います)
離れたかいもなく、彼女は私と彼の精神的つながりにおびえ、毎日かわいそ
うな状態でした。彼も彼で、結局卒業まで彼女と付き合っているような状態
にありながら、彼女に隠れて話しかけてきたり、好きだとか、「おれ、あい
つとは付き合ってないから」と言ってみたり…要するに彼もダメ男といえば
そのとおりですね。(笑)でも私は最後まで好きって言えませんでした。

勉強したおかげで私は家業を継ぐのに十分な大学へ進学することができまし
た。彼もなかなかの大学へ合格しました。彼とは同窓会でたまに会っていましたが、彼女がおかしくなるのであまり話はしませんでした。
しかし、ある同窓会で彼と彼女が別れたと聞きました。そこで私は初めて彼
に好きだったことを伝えました。彼は泣いていました。
久しぶりに話す彼はやっぱり自分にぴったりで、それでいながら、もう別々
の道を歩いている人だと感じました。

回想が長くなり申し訳ありません(汗
重ね合わせすぎも自分でどうかと思うんですが、ついつい考えてしまうんで
すよね。貴樹と明里も、自分たちがぴったりなのはわかるけど、それを維持
できる環境がなかったのかなと思います。私も貴樹と同じように、その後の高校生活は上に上に、ということだけを考えて感情を凍らせました。泣かな
いし怒らないし本気では笑わない、ということです。
そのあと、解凍するのは本当に大変でした。貴樹は10年近く凍らせていたの
かと思うと、ビールやたばこもうなずけるなぁという感じです。笑
明里は、貴樹のことを忘れないし大好きだけど、中学の段階で自分と別々の
道に行くのがわかったから、「大丈夫」って言ったんだと思います。
あの後ずっと文通してたまに会って大学から一緒にいてもブランクは大きい
と思うんです。

明里が賢い女の子だったから早い段階で別れがきたけど、二人はどっちにし
ろ上手くいかなかったと思います。その点で、一番きれいでドラマチックな
時期に別れを持ってきた新海さんは、すごいなぁと。

今度小説版も読んでみたいと思います!
本当に長文失礼いたしました。
2011/08/12 8:33 PM by k.sasano
>鳥さん

それは失礼致しました(笑)! お恥ずかしい限りです。でもかなり、男性特有の思い込みがないフラットな視点で羨ましいなあと思いました。年を重ねるとどう見方が変わるのか、気になりますね……。前より感動することもあれば、ちっとも面白くないと思う可能性もあるでしょうし。

そのときまだここが無事に残っていれば、感想を教えていただきたいものです。


>k.sasanoさん

なんというか、失礼ながら非常に読み応えのあるエピソードをありがとうございます。映画よりドラマティックな人生なんて掃いて捨てるほどあるんだろうなあと嘆息いたしました。もちろんドラマティックな人生があるからそんな映画もあるのだろうから、鶏が先か卵が先かという話なのですが……。

確かに失礼ながら、sasanoさんと彼も、その女性の横槍がなくても長続きしなかった可能性があるように――事後の話を先に知ってしまっていればそう思って当たり前かもしれませんが――思えてしまいます。すでにおられるかもしれませんが、また精神的に似ている方に出会われるばよいなあと祈念しております。
2011/10/18 3:34 PM by ハセガワ
はじめまして
私も他の方々同様秒速をみてなんとも言えない感想を抱き、色々彷徨っている中でここにたどり着きました。
他の感想サイトではタカキはヘタレだの駄作だの全く感情移入できないだのクソミソに言っている人も多くて「この作品で魂を揺さぶられる俺って感性がおかしいのかなあ?しかもアニメだし・・・」と気持ちを昇華できないまま、それでも誰かとこの感動?を分かち合いたい、物語の本質について語り合いたいと思い、気がつけば夜中の12時から今、朝の三時半までぶっ続けで他の方々のコメントを読んでしまいました。
私も先に出ている鳥さんと同じような感想を抱き(小説も漫画も読んだ上で)ました。アカリは「思い出」として昇華しようと努力し、タカキは決して忘れてはいけない「想い」として幼い心に強く誓ってしまった。結果だけ見ればどうであろうと時間とともにそんな気持ちは薄れていってしまう(そして他の誰かを愛する)のだけれど、「想い」としてしまったタカキはその自らの「誓い」自体に縛られてしまう。実際小説にも書かれているようにタカキもアカリに対する思いは時間とともに薄れているのにもかかわらず、でもそれに対する自分への叱責が強迫観念にまでなってしまっている、そんな風に感じました。大学生になってタカキは好きな女性もできて付き合いもするのだけれど根底にはまだその縛りがあり相手の女性のように「自分の全てで相手を愛する」ということが無意識なのかわからないけどタカキはできない。当然相手は(理沙のセリフでもあったが)自分の好きとタカキの好きは少し違うかもしれない、と別れを切り出す。最終的にタカキは「今までの自分は相手からの好意を貪り尽くすだけで自分から相手を幸せにしようとしていなかった」と気がつくわけだけれど、タカキはタカキなりに相手を好きになっていて、でも自分でも意識しないいまま相手を傷つけていた。ラストシーンはそのアカリへの「想い」誓いへの決別をするわけなのでハッピーエンドだと私も思います
以前にも誰かが言ってたけど、普段四六時中想い人のことを考えているわけじゃないけどふとした時にどうしようもなく狂おしくなるときがる、普段は普通に彼女もいたり友達もいたりして生活している、と。単純なハッピーエンドを望む人たちは主人公は四六時中想い人のことを考えていなければならず、また、それゆえに結ばれなければならない、みたいな思考回路に思えます。現実はそんなことはなくて、以前ハゼガワさんが言ったように実際はオナにーをした後にアカリに対する罪悪感と自己嫌悪でのた打ち回ったりするわけですよね。
ちょっと長くなってわけがわからなくなってきました、すみません。
私は現在39歳で女房も子供もいるわけなのですが、もし仮にタカキとアカリが結婚したとしても、結婚すれば女も母親にかわりウンコもすれば屁もする、しわも増えれば腹も出てくる。結ばれなかった淡い思い出だから余計に美しいし、男はどうしても釣れなかった魚(例えが悪くてすみません)を美化して追い求めてしまうものだと思う。
私も中学時代の好きだった子に好きと言えず(お互い好きあってて登下校や季節ごとのイベントは楽しんでたのに、今考えると「何故言えない!?」って感じなんだけど)高校が別だからお別れだね、みたいに自然消滅してしまった。ずっと引きずってて折に触れて「あの子は今どうしているかなあ」と思ってしまう。けど今の女房がその時その時代のあの子のポジションにいて、あの子が今自分の女房ならば間違いなく今の女房が今の私の「忘れられない美しい思い出のあの子」になっているはずなんです。人生(悲しいかな男)とはそういうものだと思います
長くなってすみません
このサイトを見つけて嬉しくてつい書き込んでしまいました
また覗かせていただきます
2012/01/05 4:00 AM by Q
コメントありがとうございます。

実は私自身は、愛好しつつもこの作品がけなされる理由も分かる――みたいな微妙な立ち位置におり、本文に出てくるのとは別の知人には「何が面白いのか分からない」という人もいたりします。とはいえ自分が衝撃を受けた作品があまりけなされてばかりでは寂しいものですよね……。

私は新海監督は、当然貴樹のような部分は持っているけれど、かなりドライにそういった感傷を切り離して考えられる方だと思っているのですが、創作する側ではない受け手には、自分にそのような感傷があろうがなかろうが、またあるけどそれと自覚していなかろうが、鼻につく向きも多いのではないかと思います。

ただ、その気恥ずかしさを乗り越えられさえすれば、やはり美術の美しさも相まって非常にそれを甘い身体に悪い菓子や酒のように摂取で来てしまう作品ではないかと自分では思っております。

Qさんの高校進学と同時に自然消滅してしまった同級生と奥様の話も言い得て妙ですね。もちろん世界のどこかにそのような次元ではない真実の愛というやつはあるのでしょうが(あるいは人は心のどこかでそれを信じ続けたい生き物であるのか)、明里はおそらく精神的にどこか似ていたとはいえ、明里であったからずっと貴樹の心を捉え続けたわけではなく、他の誰かと入れ替わってもシチェーションや付いたり離れたりした時期が同じであれば、同様に貴樹の心を縛り続けたように思います。

あるいは、これは今完全に何となくで書いている考えですが、やはり貴樹は「明里でなくてはいけなかった」。そしてどのような相手であれば「○○でなくてはいけなかった」ような恋愛になってしまうのか、という先述の「真実の愛」とやらが描かれている、あるいは描かれているように思わせるものが宿っているからこれだけ熱狂的に愛されているのかなあ、などと思ったりもしました。

ちっとも更新していないブログで、おまけに最近何もいじった記憶がないのにレイアウトが崩れたりしているので、個人的には再訪していただくのは恥ずかしいのですが、お暇がありましたらばこの返信でも見に来てやって下さいませ。
2012/01/13 12:30 PM by ハセガワ
はじめまして。
先日はじめてこの作品を鑑賞し、モヤモヤとした気持ちを抱えてここにたどり着きました。
みなさんのコメントも含め、大変大変楽しく読ませていただきました。
私も足跡を残したく、昔むかしのエントリにコメントすることをお許しください。

さて残念なことに、私は鑑賞前から主役2人は結ばれないことを知らされていました(長くなるので、理由は参考までに、このコメント欄にリンクしておきます、気が向いたらご覧ください)。
なので、第2話が終わったとき、第3話はきっと2人が東京で同棲を始め、あの雪の夜を超えられないことに苛立ちを覚えてすれ違っていく話なのだろうな、と勝手に推測していました。
ずいぶん安っぽいストーリーですね(笑)。

第3話が終わったときは目が点でした。
貴樹と明里が雪の夜から1度も会わないまま終わるのがどうしても納得できなくて…
どうせなら完全決着をつけてほしい、と。

このエントリで「あの頃はそこで踏み切りよ早く上がれとばかりに待ち構えていたであろう、あの少女はもういない」という一文を読んで目からウロコが落ちました。
昔、「♪遮断器が上がり振り向いた君はもう大人の顔しているのだろう」という井上陽水の歌がありましたが、ここでは遮断器が上がったら彼女は実像に戻った(ここにはいない)、のだろうと感じています。
どういうきっかけで貴樹が幻影から逃れることができたのか、はっきりした答えは見えていませんが、この方が私が考えたドロドロストーリーよりもずっといいと今は思っています。

迷える魂を救っていただいてありがとうございました。
2012/01/19 1:44 AM by ghid
>>完全にifの話だが、貴樹はもしかしたら、唇の柔らかさだけを残してはいけなかったのかもしれない。そこで湧き上がった、明里への愛、そして、それ故に姿を現した不安や悲しみを、もっと強く抱えていなければいけなかったのかもしれない。その思いを強く告げていれば、もっと別の未来があったのかもしれないのに、キスの全能感の前に貴樹は「伝わった」気になってしまっていたのかも――そんな考えが浮かんだ。

この文章こそ爐泙気豊瓩世隼廚い泙靴拭
男女の考えの差ではないでしょうね(笑)
彼女はこのキスを区切りとし、彼は未来へのものと考えた。
主人公はもう永遠に続かないと語ってはいましたが、心のどこかでは
また会えるとも信じていた。切ないですね。

とはいえ最後には主人公も自分の道を歩んでいけるような描写
だったのでハッピーエンドと私はとらえています。
2012/02/05 6:23 PM by A
>ghidさん

コメントありがとうございます。

平田信出頭の報にはぶっ魂消たものですが、更なる続報で地上波ニュースに秒速が登場したという話には更にぶっ魂消ました。監督や制作会社の皆様もさぞや驚いたことでしょう(笑)。セルはまだしも、レンタルの数字は伸びたのではないでしょうか。

確かにそこだけを知っていて第3話を見るとびっくりするのでしょうが、かといってghidさんも書かれているように、東京で再び出会い付き合っているのでは、1話と2話の意味もなくなってしまう気がしますね。井上陽水の「白い一日」は完全に失念しておりました。制作のきっかけとなったのは山崎まさよしとしても、もしかして監督は井上陽水も聴いていたりするのでしょうか。

でも新海誠と井上陽水、似合いませんね……(笑)。


>Aさん

コメントありがとうございます。

そう思わない方はいちいちコメントをしない、というだけなのかもしれませんが、ハッピーエンドに一票入れてくださる方ばかりで非常にありがたい思いがいたします。

いい年をしたおっさんからすると、区切りのキスという行為の存在自体が恐ろしすぎます……。
2012/02/26 2:51 AM by ハセガワ
始めまして。
主様、皆様の感想を大変興味深く読ませて頂きました。久しぶりに心を打たれた作品でしたので、泥沼から這い出るべく、足跡残させて下さい。
つい一週間程前、WOWOWで見かけ、予備知識もないまま視聴しました。結論から言えば、観なければ良かったな、デス…。
僕は、数年前に結婚して、子供もいます。結婚するまでは、人並みに恋愛もしてきましたし、同じだけ別れもありました。嫁以外‥ボソ。中学、高校、大学、社会人となるにつれ、恋愛に対するスタンスが変わっていくと、自分の立ち位置だったり役割を客観的に理解するようになってきたわけで、初期の頃のような恋のトリコになる、悪く言えば、現を抜かすような事が、なくなったのを、意図的になくしてきたのを、思い出します。それが大人なんだと、考えていた節があります。
結婚して、子供が出来ると、尚更です。

だからこそ、観てしまった、思い出してしまった、そして悲しくなってしまった感が強い。いつからか、大人になりたくて覆い隠してきた、好きなだけで満たされた想い。二度と戻らない時間。でも、それで良いんだと、ここまで生きてきた自分にとって、何かが何処かで掛け違えてしまったのではないか、考えまくり(よせばいいのに)泥沼化に至りました。いい歳してさ。
仕事柄、他人の離婚には、よく携わります。婚姻期間が短い方、長い方、皆様固有の理由があるのでしょうが、少し気持ちが分かった気がします。(テヘペロ)
さて、話が大分逸れましたが、良い作品です。これだけ落ち込み、先週は大変でした。が、僕にとっては、良い映画でした。見返しはしませんし、内容は皆様が書かれているので割愛しますが、一番好きなシーンは、(救いになるシーンか、)明里の幸せそうな笑顔ですかね。同じように、僕が好きになった、僕なんかを好きになってくれた人達が、1人でも多く幸せになってくれるように、願うばかりです。

さ、ユーロ観て元気に生きよう!
2012/06/24 4:42 AM by カワタカ
コメントありがとうございます。

何とも滋味溢れるコメントで、こちらこそ足跡を残していただきありがたく存じます。

私もフットボール好きでユーロをほぼ全試合見ていたのですが、モッタの負傷退場で数的不利という想定外のアクシデントなども含め、プエルタやハルケ、ロケやプレシアードといった故人への思い、トーレス保育園(笑)など、生と死や避けがたい不条理など、ピッチ内外に人生そのものが横溢する決勝戦を堪能した本日でした。

そういった、何かを通じて人間やこの世界の形を透かし見るような体験をするたびに、年をとってきたことも悪くはないよなあと思う次第です。たとえ、そこまでにどれだけの別れなどがあったとしても(私はそんないい話は全然ありませんが・笑)。

ご家族ともども今後ますますのご健勝をお祈り致します。
2012/07/02 6:58 PM by ハセガワ
はじめましてー。
私もつい先週秒速5センチメートルを視聴して、それからというもの漫画、小説、はたまた聖地巡礼までしてしまいました笑
自分でもなぜこんなにもハマッてしまったのか、やはりそれもハセガワさんが仰るとおり過去の恋愛経験や男女の差が絡んでるんですよね

自分は現在高校生ですが、中学の頃に似たような恋愛をしていて主人公に感情移入してしまいました・・・
男はずるずると引きずるんですよね、女は割りとけろっと立ち直ることが多いこと多いこと笑

話がそれてしまいましたが、この映画は小説を読んでこそ初めて完結すると個人的におもいます。
特に3話は劇中では明里のことを思い続けて、強迫的とも言えるなにかによってひたすら働き続け、結局会社をやめて途方にくれる
といった感じですが、小説ですといろいろな女性と付き合っていくがやはり花苗の時と同じように貴樹自身女性と向きあえておらず、振られてしまうといった感じでしたね
明里は明里なりに貴樹との美しい過去を「思い出」に変換し、逆に貴樹は美しい過去がどんどん美化されていき見えない呪縛のようなものに囚われていく。
それが付き合った女性とうまくいかない貴樹の原因
本能的に何か壁を張っているんですよね

でも、それでも前に進まなければならないと思った貴樹は踏切でのことをきっかけに見えない呪縛から解き放たれて前に進むことを決意した。と独自解釈しています
小説でも「もし彼女があの人だったとして、それだけでももう十分に奇跡だと、彼は思う。 この電車が通り過ぎたら前に進もうと、そう思った」
という記述があるので。。

全体的に書いててよくわけわからなくなりましたが笑
決別とまでは言わない 明里も貴樹も互いに過去を想い出に変えて、自分の道にまっすぐ進んでいけたら、それでいいとおもいます
1回目の視聴のあとは激しくハッピーエンドを切望しましたが、今となってはこういったエンドだからこそ自分はこれほどにも感傷に浸ることにもでき、こういったものもいいな
そう思いました。。。

文章構成力とかぜんぜんないので、自分の思っていることがうまく伝わらなかったかもしれません
それでも、この行き場のない気持ちを共感してもらえたらな。と思います
長文失礼しました。
2012/07/30 6:40 PM by れーす
コメントありがとうございます。

お気持ちはコメントによく表れていると思いますよ! 結局本編で描かれている流れが必然の歴史であるとするなら、仮に第一部でキスをしたところで映画が終わっていたとしても、物語としてはハッピーエンドですが、終わらない物語としての人生においてはそうではなかったということになるわけで、その無常さとだからこその愛らしさを感じさせるのがこの作品なのかなあと思います。

逆に言えば、この後また貴樹は不幸になったり、明里のことを忘れてしまうくらいの恋愛をして見事成就したりするかもしれないわけで、我々の人生も長いスパンで考えていきたいものですね(笑)!!
2012/09/03 2:39 AM by ハセガワ
まだ映画しか見ておりませんが、この映画のおかげで長い間心の底に沈めていたフタが開いてしまい、どうしようもない気持ちになってあちこちさまよい、こちらにたどり着きました。
コメント欄のみなさんも、それぞれのお考えで消化しようとされているようで、新海監督は本当にとんでもないものを作ってくれたもんだと苦笑いしております。私もハセガワさんのエントリーを見て、少しずつ消化しながらも吐き出さずにいられず、失礼を承知で長文を置かせてください。

=====
種子島を出るときの貴樹は、本当は花苗の事も好きだったんじゃないのかな?・・・という気持ちになっています。まさやんの歌が貴樹の心象を歌っているものだとすれば、あのシーンで花苗だけの想いを被せるのに違和感がありました。もちろん、「One more time, One more chance.」を花苗視点で語ることも、3人(4人かな?)の気持ちを表現しているという解釈も可能だとは思います。だけど、それならば貴樹の「現在」の視点である3話で行う事にますます違和感を感じます。


遠くの人を想っていたとしても、現実としては誰かそばに居て欲しいもんですよね?
人というか、男といえば良いのか、その程度のずるい立ち回りは誰でもやると思うんです。過去の美しい理想ばかり追う崇高な暮らしを続けていては、誰だって気持ちが持たないでしょう。高校生じゃどう頑張っても会えない距離だし、想い続けてたとしても将来結ばれる可能性は低いだろうし。そんな事ぐらい分かる年頃ですよね? 認めたくないだけで・・・。
歌詞にある「星が落ちそうな夜」というのは、丘の上でメールを打っている時でもあるし、夢の中の事でもあると思います。夢の中で見る女性、時速5kmという言葉や、犬をなでている花苗に過去の明里をダブらせながらも、偽れない気持ちを再認識し、ますます意固地になっていったんではないでしょうか?
「誰でもいいはずなのに」という歌詞に掛かるシーンでも花苗と一緒にいますが、そんな対象にしたくないからこそ恋人の関係を選ばない貴樹なりの優しさで包んでいたんではないでしょうか? 若さ故に、それがどんな残酷な事なのかも知らずに・・・。
夢の中の女性が一度でも花苗に見える瞬間があれば、貴樹も花苗も違った未来になったかなと。叶うならば「忘れきれなくても、別の人を好きになっても良いんだよ」と貴樹に教えてあげたいです(笑)


解釈が分かれるラストですが、私は振り返らなかった明里の姿勢に人としての誠実さを感じました。
1月に式を挙げると言っていたので、桜舞い散る踏切で明里が貴樹に気付いたのは結婚したあと。最低でも2カ月程度は新婚生活が過ぎた頃で、美しい想い出の相手とはいえ別々の道を進んでいる今、振り返ってはいけない。特に明里は。
真剣に向き合っていた二人だからこそ、その想い出をとても大事にしていたからこそ、違う相手と生きていく決断をした自分が振り返っては駄目だと感じたんだと思います・・・・・と明里を尊敬したい気持ちで書きながらも、ハセガワさんの「単純に明里はもうそこまで思ってない」という説の方が正しい気がします(笑)

貴樹が振り向くのは、しょうがないです。明里が結婚したとか、今どうなんだとか知らないですし(笑)
まあ、現実にはそんな二人が十何年振りに会ったら声ぐらい掛けるだろとは思いますが、物語なので声を掛けないのが正解でしょう。仮に振り返って連絡先でも交換して繋がりが戻ったならば、今の貴樹の状態であれば、近いうちに彼の口から「優しくしないで」という言葉が出てきたと思います。


ラストシーンは悲しい場面ではあるけれど、バッドエンドでもハッピーエンドでもないと思っています。
ハセガワさんの言うように、この後も人生が続くからです。人生は、過去は、その時々で捉え方が違うように、踏切のシーンや桜の下のキスをピークにする必要はないでしょう。どんな事が起ころうとも、現在を、未来を満足できるように生きていくしかないですし、単に貴樹にとって区切りがついた瞬間だと思っています。蛇足ですが彼にとっての「桜木町=桜の木のある町」はこの街だったんでしょうね。

実は私もクリエイターの端くれで、出来上がった作品が人々の目に触れていく過程で、自分が思っていた以上の意味を持つケースが多々起こります。それは無意識にそうしたのか、必然としてそうなったのかの自覚はありませんが、そういう結果に思ってもらえた場合は「神様のイタズラ」という事にして納得しています。

色々と思いを巡らせますが、この作品も新海監督が意識していた以上に「神様のイタズラ」が効いて、人々が奥底に沈めていたフタを開けてしまったのではないかと思います。私もフタを閉めるのに
2012/12/21 1:29 PM by 5センチメンタル
長文過ぎました。すいません。
途切れたようなので続きを置いておきます。


色々と思いを巡らせますが、この作品も新海監督が意識していた以上に「神様のイタズラ」が効いて、人々が奥底に沈めていたフタを開けてしまったのではないかと思います。私もフタを閉めるのに時間が掛かりそうなので、まだ未見のコミック版や小説版も目を通してみようと思います。その後にとんでもなく理解が違っていたとしたら赤っ恥ですが、まずは筆を置かせていただきます。

ありがとうございました。
2012/12/21 1:38 PM by 5センチメンタル
コメントありがとうございます。

>ハセガワさんの「単純に明里はもうそこまで思ってない」という説の方が正しい気がします(笑)

というのは、可能性のひとつとしての話で、これを押しているというほどではないのですが、年々歳を重ねるごとにそれが正解だろうなあと思う次第です(笑)。

結婚前の実家のホームと桜の景色の時期の差はこれまではっきりと考えていなかったので納得ですね。二ヶ月くらい経っていると、ラブラブならラブラブで、齟齬があったならあったで生活を保とうとする意志で、余計な要素を入れている余裕はないのかもしれませんね。とはいえ仰るように、物語でなければ立ち話くらいしてもいいのかもしれませんが。見方を変えると、明里は立ち話ができる状態で、貴樹はそうではなく、踏切の向こうにいなかったのを見た瞬間に立ち話ができる状態になった、みたいな考え方もできるかもしれませんね。

また「One more time〜」の考え方も興味深いですね。単純にお仕事寄りの話で映画の全てを込める必要があった、といった穿った見方もできると思うのですが、花苗の存在感にはもっと意味を見出してもいいのかなあ、などと思いました。
2013/01/02 9:16 PM by ハセガワ
こんにちは、考察楽しく読ませてもらいました。
One more time〜のボリュームが上がった時点から、三者の未来と「願い」が断片的に描かれていると仮定するなら、最後の踏切シーンで二人が「願った」1つの結末。であり、叶わなかった「願い」でもある。

裏テーマが「在りたいように在る。」という事の難しさと無力感であると考えています。
秒速と言の葉は裏テーマが同じだと思えるんですよ。
タカキが大人になった頃、自分が行きたい「道」を見失ってしまったことと、歩き方を忘れてしまったユキノ。
根底にあるのは「自分が在りたいように在る。」ことの喪失とも言えるんです。

互いが「望まない」結末を迎える。
だけど、何処かで互いが「望んでいる」結末を迎える。

タカキもアカリも「自分らしく生きる」ことを望んでいるのに、その方法をずっと見つけられていない。
だからこそ、大人になってもどこか「憂い」があるんでしょう。

言の葉でも基本的には同じです。
視点を変えて見れば「2人とも歩く練習をしていた」の回想もそうですが、連絡手段に「手紙」を選択していることに「現代」に対して何らかの反発があるんじゃないのかと思えるんです。
だからこそユキノは「古文」教師という選択で逃げたとも言えるし、タカオも「靴職人」という形で逃げているとも言える。


時に人は迷い、そして予期せぬ生き方を強いられる。


だからこそ、それぞれの方法でそれを受け入れつつも、反発したい。のだろうと。


最初から「第三者視点」(別な言い方すれば神の視点)だからこそ、「こうあるべき」「こうじゃないだろ」とも言えるんですよね・・・
解釈次第でどっちでもあるし、どっちでもない。それが「生きる」ことの難しさなんだろうな。と。


自分なりに解釈したことを述べましたが、これも1つの考え方。として受け入れていただければ幸いです。
2014/10/23 1:16 AM by 綺堂
コメントありがとうございます。おもいっきり時間が空いてしまってご覧いただく機会があるのやら甚だ不安ですが……。

>「在りたいように在る。」という事の難しさと無力感

というのは、まさにこの作品を通じて得られるもので結構大きなものだと思います。リアルタイムでは感じなかったけど、歳をとってそれを感じてくる――みたいな10代で見られた方も多いのではないかと。

ただ個人的に思うのは、創作の中でもタイアップではないオリジナルでアニメーションを作るというのは死ぬほど面倒くさく割に合わない手法なので、少なくとも新海監督が作品を作ることで訴えたい「こうあるべき」というのは無くてはならないと思っています。

そして、表現で不快感をこうあるべき、と出したい人ももちろんいるのですが、この作品に関しては見た人の背中を押せるようなものが監督の「こうあるべき」(あるいは世界に「こうであってほしい」というささやかな祈りのようなものとでも言うか)なのではないかと個人的には感じています。だからハッピーエンドだと解釈したい、的なところも自分の中ではあるのかもしれません。

受け入れるも何も、こんなところに好きなことを好きなように書いていただけること自体が非常にありがたいことで感謝しております!
2015/03/05 3:32 AM by ハセガワ
この間初めて秒速5センチメートルをみました。
第3話を見終わったときどういうことかよく理解できなかったのですけど、この記事を読んでいろいろ納得しました。かなり内容の奥深くまで分析されていて読み応えがありました。(^^)
2016/04/14 3:00 PM by もうすぐ大学生
コメントありがとうございます。お褒めいただき恐縮です。もうすぐ大学生、ということはこの映画が公開されたリアルタイムだとまだ初恋をしていなくてもおかしくないくらいの年齢ということですよね……! こんな長い時間が経っても観られる作品になっているというのは凄いことですね。
2016/04/20 8:25 PM by ハセガワ
コメントする










この記事のトラックバックURL
http://diary.clue-web.net/trackback/737507
トラックバック