<< 面白すぎ。 | TOP | あえて書くまでもなく >>
OVER THE WORLD
とある誕生日の話。

僕は自転車をこいで車道を走っていた。寒いけど心はそれなりにうきうきしている。ここ数年か、誕生日というものをそれなりに能動的に受け止められるようになった。昔は我が家では誕生日だからといって何かあるわけではなく、ただの死ぬのに1歳近づく日でしかなかった。何より僕は大人になりなくなかったのだ。

交差点が近づいて、歩行者信号が点滅する。混雑している車線の左折しようとする車の様子を見ながらペダルを強く踏む。車道を走っている僕の自転車はあくまで車両であり、しかし、車に乗っている人たちには邪魔な自転車でしかなく、出来るだけスマートに、しかし急いで車両用信号が赤になるまでにどうにか交差点を横断する。交差点を過ぎると華やかな銀座の街に一気に入り込んだようになる。左に折れる小さな道がすぐに迫っている。ここはなぜか良く車が曲がりいつもごちゃついているのでスピードを落として走る。僕はさらに真っ直ぐ、銀座の奥を目指して走っている。いつも以上に車が進まないな、と思い右隣の車線も停滞しているのを確認して車線の右に出て、車間を通って真っ直ぐ進もうとしたその時だった。

人が倒れていた。
原チャリが車とぶつかったようで、そのBMWのオーナーと思しき若い男が横倒しになった原チャリの脇に倒れている中年男性に必死に声をかけている。あんなに若いのにBMWに乗っているのにしっかりした人だな、と僕は最初間抜けなことに処置の適切さに感心していた。気道もすでに確保されているみたいだ。裕福な家のお坊ちゃんというよりは青年実業家とかかなあ、だとか考えたりして。考えながらも自転車は進み、どんどん僕と男性との距離が残酷なものになっていく。視力のあまり良くない僕が「これはヤバい」と確信したのはおよそ2mほどの距離に迫った頃だろうか。しかし、僕の足は自転車をこぎ続けて、その距離はさらに残酷で無慈悲なものにあっという間になった。

ようやく違和感を覚えたのは次の交差点を過ぎたあたりだった。なんで、通り過ぎたのだろうか、と。はっきり言ってもう素人がそこにいたところでどうにかなる状態ではないという確信はあったが、それはそれで通り過ぎた理由にはならないように思う。振り返ると車の列は滞りながらも進んでいる。皆、きっと倒れた男性を見下ろしすれ違いながらもそのまま進んでいる。車の中の会話は聞こえないのだから、まるでそのまま何事も無かったかのようだ。何事も無かったかのように残った1日を消費するために。僕は、残りの誕生日を過ごすために。でも、何事も無かったわけでは決して無いのだ。

撥ねてしまった若い男の人生はもうお終いかもしれない。撥ねられてしまった男性は命を失うかもしれない。しかし、僕は今日、この後、僕が生まれた日を祝われて、笑ったり騒いだりするかもしれないのだ。そう思うと少し涙が出た。でも、僕の自転車を扱ぐ足は止まらなかった。そう、きっと結局は何事も無かったことと変わりはしないのだから。こうして自転車を扱いでいる間にもたくさんの人が酷い目に遭い、場合によっては命を落としていて、僕はそれを知ったところでどうしようもないのだ。たった1m程度離れたところで、今にも死んでしまうかもしれない人を目の当たりにしたところで、それは遠くの国でたくさんの人が殺されたニュースに触れることと何も変わりはしないのだ。その悲劇に近い距離で触れたことが何かに現れるとすれば、おそらくそれは感傷の度合いでしかない。そして、それは悲劇の大きさによっても変わってしまう。だから僕は、男性のことを思って形容しがたい感情に苛まれながらも、それに係わることを避けて自転車を扱ぎ続けたのだが、銀座の交差点のニュース掲示板に、遠くの国で子供たちばかりが何百人も虐殺されたニュースが流されでもしたら、僕は自転車を扱ぐのを止めて歩道に突っ伏して嗚咽を漏らしていたかもしれない。

結局僕にとっては、その事故は、心を乱しながらも目的地に向かう僕の足を止めるものではなかったのだ。逆に、それが本来足を止めるべき自体であるのならば、僕がそのような状況に遭遇した際に、足を止めずにそのまま歩き続ける人間であるということでしかなかったのだ。

そして今日も、多分僕は新聞で嫌なニュースを見て嫌な思いをしながらも、何回も声をあげて笑って、普通に1日を過ごした。ただ、そうやって1日をやり過ごして夜眠る時に時折思うことは、歳を重ねるごとに確固たるものになっていくように思う。自転車を扱ぎながら、流れた涙をぬぐった時に感じた、「俺はもっとくだらないことをして生きよう」という気持ちが。
はてなブックマーク - OVER THE WORLD | 01:55 | フィクション | comments(0) | trackbacks(0)
コメント
コメントする










この記事のトラックバックURL
http://diary.clue-web.net/trackback/395429
トラックバック