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与え与えられるということ
 最近ノームコア(参考記事)が話題になったり、ハイファッションが叩かれたり(いやまあ俺もパリコレツーマンセルとか笑っちゃうんだけど)しがちだけど、正直ファッションに興味ない人やビシっと決めてモテてる人のやっかみでしかない意見があまりに多すぎると個人的には思っている。 

 俺はそういうのを叩いてる人よりも見た目にこだわっておらず金をかけていない自信があるので「俺なんてずっと思想的にはノームコアだけど、ノームコアな人たちから見たらダサいって言われる確信あるよ」くらいの立ち位置にいるし、ファッションに気合入れてる人に敵意を感じたり「むしろダサいだろ」的なことを思ったことも正直ありますけども、こういう流れに乗って自説を補強した気分になるのは恥でしかないと思っているので、最近はむしろハイファッションに対して積極的に敬意を払うくらいの立ち位置でいます。

 なので漫画の『王様の仕立て屋』シリーズとか『IPPO』とか『繕い裁つ人』とか見ると、自分では一切触れる気はないけど素直に凄いなあと感動したりするんだが、そんな流れで映画『キングスマン』のこの記事と動画を見たのです。 

 『王様の仕立て屋』にも出てくる、イギリスのビスポーク紳士服の高級テーラーが集うサヴィル・ロウが舞台になる『キングスマン』の、衣装のこだわりにフォーカスした記事と動画なんだけども、衣装デザイナーのアリアンヌ・フィリップスの言葉が凄まじかった。

「サヴィル・ロウはこのストーリーの中心地。
 この世界を見せて衣装をできるだけ英国風に見せることが一番大切だと思ったわ。
 だからキングスマンが着るあらゆる衣装、彼らのスーツは100%英国製にした。
 生地から縫製まですべてね」

この後に、彼女はこう続けている。

「今回は現実が芸術を模倣し、芸術が現実に影響を与えるものを扱うチャンスだった」

 本当にこの字幕を見た瞬間全身に衝撃が走った。アーティストの言葉で、近年でも屈指の感動を覚えた。

 これがどれだけ真摯なものであるか、またそこに込められたプロフェッショナルとしての矜持がいかほどのものかというのは、自分の興味なさの&興味がある奴等が肌に合わない的な単なるリア充嫌いの発露としてファッションを鼻で笑ってる人たちには多分分からないだろう。この言葉に感動する資格を持っててよかったなあ俺、と思った。

 あと、その世界の奥行きがどれだけあるのか、っていうことは何となく理解しようと思ってるけど、結局俺自身はちゃんとしたファッションの世界に興味を持つことは多分一生ない(そもそも毎日ちゃんとした格好をするくらいなら貧困で早死してもしょうがない――と思って会社勤めを諦めたくらいなので)。でも、そうであっても、ある一つの成立しているジャンルに素人が言及するのは止めておくべきです。

 ファッションに対する本物の見識があってその上で批判するところがあるならいいんだけど、どんなにリア充に腹が立とうが、自分に興味がないから、興味がある奴が苦手だから、って理由だけ(まあ多くの批判者はそれを認めずないんだろうが)でケチをつけたら、同じように自分が愛する分野にケチをつけられても本来は言い返す資格がなくなるんだからね。それも多分理解してないんだろうけど。

 ファッション好きのオシャレなお兄さんに「いい歳してアニメとかはまってるの気持ち悪いんだけど」って言われるのとまったく同じことやってるんだから、そういう人間に文句を言いたいなら自分もそうするべきではない。まあ、これはどちらかと言えば後ろ向きな理由ですが。

 本当は前向きな意味のほうが大事で、こういう本物中の本物の世界に正しく触れることができる機会を自ら喪失するってのは実につまらないこと。それがつまらないことだということすら分からなくなってしまう前に、極力色眼鏡は外して生きるべきだと若い人に対しては思います。

 まあ、オッサンははっきり言って無理だけどね。外すとむしろ死ぬようなところまで癒着しちゃってるから。ああいう手合いは。と俺もカジュアルに差別をかます無限地獄でお休みなさいませ。争いイズなくならない。
はてなブックマーク - 与え与えられるということ | 04:15 | 戯言 | comments(0) | trackbacks(0)
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