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4年

前に福島に行ったのは去年の相馬野馬追の際のこと。 

1年に2・3度は遊びに行きたいと思っているのだが、去年は夏以降に沖縄で働き始めた知人に会いに行こうと、2回そちらに行ったりしたため(しかもどちらも会えなかったのでまた近く行くつもりだ・笑)大分間が空いているし、今年また福島や東北に行くとしても夏くらいのことになるかもしれない。 

そんなわけなので、今日も東京で過ごすし、夕方からは取材も入っているのだが、14時台には多分家にいると思うので、NHKでも見ながらその時には黙祷をするのだと思われる。 

とはいえ、基本的には黙祷というものにはそこまで意識がいかない。生きている人が何よりも大切だと思うので、できないときは思い出せないときはしなくてもいいと思っている。というか、そんな日は日本が滅亡するまで来ることはないのだろうけど、理屈としては日本中の人が3月11日の14時46分に黙祷をしないで良い日が来るのが一番良いことのような気はする。 


――なんてことを考えていて、2012年3月11日のことを思い出した。 

その時は知人らと6人くらいで東北旅行をしていて、14時台には福島県の飯舘村の山津見神社(後に社務所と拝殿が全焼してしまうが、昨年秋に再建工事が始まっている)にいた。お参りをしたり、社務所で根付などを買ったりして、めいめいが車に戻った頃がちょうど14時40分くらいだったので、そのまま車中でラジオ福島をつけて黙祷をした。 

実にありきたりな話で、妙な日本語になってしまうが、人生で一番印象に残る黙祷であったことは間違いない。 

ただ、黙して祷ると書いて黙祷とはいえ、要件としてはただ黙っていただけで、特に何かを祈っていたわけでもないような気がする。はっきりとした記憶はないのだが、どちらかと言えば黙して怒っていた気も。 

そんなことを思い返すと、結局のところ、黙祷も生きている人間のための行為なんだなあと感じる。 

また話は飛んで、震災後に初めて福島に行ったのは、2011年4月8日くらいのことだったと思う(それか1日)。ガソリンが流通し始め、行ってもそこまで邪魔にはならないというタイミングで、福島出身の知人が幼馴染の車に乗って帰郷するのに同乗させてもらった。 

その翌日に、福島第一原子力発電所から大分離れているのに、甚大な放射性物質の被害を受けたことで有名になってしまった飯舘村に行って、知人と一緒に村役場で僅かばかりの金額を寄付したのだが、その時に住所と氏名を書いてくれと言われた。 

それが嫌だなあと感じた僕は、知人の実家の住所で書かせてもらおうとしたり明らかにまごついてしまい、最終的には東京者だということを告げるのみならず、「原発の電気を使わせてもらった身で――」みたいなよく分からない言い訳をしてしまった。 

この時の気持ちをざっくりと言ってしまえば、救われたかったということになるのだろうが、結局余所者の黙祷というのも似たようなものになるのではないか。 

当然家や家族や生業を失った方々の黙祷は性質が大きく異なるものだが、それもやはり、結局は生きている人間が必要とする行為なのだろうと思う。もちろん、それに加えて、もしも死後の世界や魂というものがあるのであれば、その祈りが届けば尚の事よいのだが、あくまでも副次的なものなのだろう(――という風に感じるのも、余所者だからと言われれば否定できないが)。 


などと書き連ねたところで特にオチもないのだが、今日たとえ自分が黙祷をするにしても、自分のために、生きている人間のために、あまり悲しい意味を持たせすぎないようにしたいとは思っている。 

風化させてはいけない、という意味合いは大いにあるので、式典や黙祷がなされることは個人的には違和感を覚えないし、そこに悲しみが付随するのは当然のことだが、個人的にはそこからは少し距離を置きたいと思う。 

自分で言うのも何だが相当震災後福島に足を運んでいるし、特に忘れてもいないし、震災直後から何だかんだと人々は苦しみを軽減するために忘れていくことは分かっていた&そうするべきだとも思っていたので、言葉は悪いが3月11日にいちいち薪をくべる必要はない。 

むしろ、3月11日に別の悲しみに寄り添いたい人や、喜ばしい記念日になった人――震災とは関係なく大切な人の命日になってしまった人や、新しい命を授かった人など――が、震災に引き摺られて素直に悲しめなかったり喜べなかったりするようなことがあったら嫌だなあと思うことがあり、そんな感じで、黙祷するなら特別な意味があるんだかないんだか分からないような黙祷に止めようと、何となく思った次第である。 

こうして言語化してみても、自分でもよく分かんねー、面倒くせー、と思うので、結局黙祷自体をしない可能性も無きにしも非ず。まあ、そんな感じで今日もまたすぐに終わるのだろうし、気がつけばあっという間に2016年3月11日になっているのだろう。 


※写真は2011年4月29日に福島県いわき市で撮ったもの。当たり前だけど、震災に話を限っても3月11日の14時46分以外の「止まってしまった時間」が数え切れないほどあるわけだ。
はてなブックマーク - 4年 | 02:53 | 戯言 | comments(0) | trackbacks(0)
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