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社会は子らを千尋の谷に突き落とす

今更ながら大津の件、リアルタイムでTwitterでつぶやいていたことのまとめなのですが、思考の整理として。


この件は同様のニュースに比べても特にショッキングであることは、良くも悪くも事実だろうと思われる。僕自身も「自殺の練習をさせていた」という報に怒り心頭に発した。

ただ当たり前と言われればそれまでだけど、そうでなくとも若者が自殺してしまうニュースは非常に堪える。自分自身、そんなにヘビーなものではなかったがいじめられた経験もあり、元々進学する気もなかったのでカラッとした理由がメインだけど高校も中退してしまったが、しかし現在そこそこ楽しく生きている三十路として、ぼんやりとした励ましではなく「生きていればいいことがあるよ」と心の底から言える立場にいる自負があるので。また、辛ければ逃げてもいい、と言う資格もあると思う。「そのまま一生学校行かなくても多分どうにかなるよ」と言える人生をとりあえずここまでは送れているはず。

夜回り先生が逃げるだけでは駄目だ、戦わなければと言っていて、基本的にはその意見に文句はないのだけれど、このご時世、いじめられていた子どもが徹底的に逃げ続けることができたなら、それってもう戦い以外の何物でもないと思うんですよね。ただ逃げるにせよ、アルバイトができないと苦しいので、どうにか不登校でも中学は卒業できるように、親に頼ったりといったタスクは生じてしまうかもしれないけど。その点僕は中学は普通に特別な苦労なく卒業しているので、やはり甘いのかもしれないなあ――と今思ったりもしたのだけれど、まあそれはそれとするしかない。

ともあれ、せっかくインターネットなんて便利なものもあるのに、なぜ学校なんて狭い世界のせいで死んでしまうのかと悔しくてなりません。もちろんその理由は多くの場合明白で、親などに心配をかけることもできないから抱え込み、自重に負けてしまうのだろうし、僕自身も嫌なことを親に相談したことはないので気持ちは分かるつもりだし――と言いたいところだけど、僕がまともな社会人へのレールを歩む気力を失ったのは、学校より家庭が原因だったりするのでそこら辺もまた理解できていないのかもしれないけど、とにかくここでは「他者に助けを求める」ことや「学校以外に世界を広げる」ことなどについては触れません。


それでも腹が立ち、悔しく思えてしょうがないのは、敢えて直截な言葉を使うなら「せっかくいじめられるという経験ができたのになんてもったいない」という思いがあるからです。

望んで生み落とされたわけでもなく、望んでその個体に生まれたわけでもないのに、持って生まれた自分の形質を理由に他者に攻撃を受けるというのはあまりにも理不尽なことです。それは確実に心に傷を残し、毒が回り、顔を笑われた人ならかっこいい人を妬むだろうし、足が遅いとからかわれたなら運動神経のいい人を羨ましく思い身を焦がすことになる。そして悲しきかなその毒に殺されてしまう人も少なからず存在する。

ただ、その毒が身体中に回った後、それに耐え切った人間が身につける愛情の深さは圧倒的で、そういった苦しみを経ていない人間の人の愛し方と経た人間とのそれは恐ろしいまでに次元が違ってみえる。少なくとも僕の経験上では。簡単に言ってしまえばそれが人間の”懐”というものになるのではないかと。

当然「傷つかなければ懐は深くならないのか」といえばそうではなく。しかし、先天的なそれは見た目の良さや運動神経と同じように才能の範疇に収まるものだと思うのだけれど、人間の器だけは後天的な要素の積み重ねだけに依っても、天才たちに比肩し超えることすら可能になる数少ない人間的魅力のカテゴリのひとつだと僕は思っていて、だから「なぜそんなに苦しい経験をすることができて、きっと何年後かにその経験があなたを素晴らしい人間にしただろうに、そこで人生を止めてしまったのだ」と本当に悔しくなる。そしてそんな人間が死んでしまい、馬鹿は生き残るのが本当に許せない。
だけど、仮に僕が考えていることが真っ当なものであったとしても、そういった思いをしている子どもたちに、そんなことを伝える手段や方法は現状ほとんどないのが実情で、どうにかならないものかと歯がゆくてならん。「努力すれば必ず報われる」と壇上で語る人よりも、「逃げ続けても幸せになれる」と講演する人がこの社会には必要なように感じられてならないのです。


もちろん「そんなこと言ってもいじめられるなんて経験したいものではない」と言われればその通り。ただ、無理にオブラートに包むような形になってしまうのかもしれないがそのような経験を「挫折」と考えるとどうだろうか。

表現者などはとかく「挫折は必要だ」と自らの経験をベースに語るもので、またそれは真実だと僕も思っています。また、基本的には表現者ではない一般人にはそのようなインタビューの場がないだけで、会社員だって「挫折は必要ない」などと思っている人などいないのではないか――とも。

一流の大学に通って一流の会社に通ってすぐ辞めてしまった人、なんてケースが珍しくもない昨今、それは会社に入るまでの挫折経験の少なさによる耐性の低下が招いた悲劇がほとんどではないかと。いわゆる草食系云々というのも、挫折を恐れるあまりに手を出せないだけ、というのでほぼFAではないかと(ちなみにこれは僕もそうですけどテヘペロ)。

振られたことをなしにできて、精神的ダメージも帳消しにできる機械があったら、皆ガンガン女の子にアタックするくらいには、男という生き物はセックスしたがる生き物なはずなので。そもそもそうプログラミングされていなければ子孫できなくて滅亡だし。

話が逸れたが、まだ恋愛に関しての挫折ならよいのですが――とはいえこれをつぶやいている最中に友人より「そして草食系と呼ばれる人が手を出し始めると暴走する恐れあり…」とリプライが来たように、恋愛の挫折もあまり遠ざけ過ぎると火傷しがちではあるものの――社会的な初めての大きな挫折を経験するタイミングを誤ると、まだ何十年も残っている人生を致命的に損ねてしまう危険性が高いように思う(それは社会のシステムにも問題があるがここでは割愛)。そこで学生時代に挫折を経験していると、それが自分を守るクッションになってくれるのではないかと。

本当は「昔あんなに辛い思いをしたから大丈夫」なんて考え方自体寂しいことで、むしろファックな話だとは思うんだけど、これも現状のシステムがそうなっているのだから生きていく以上はアジャストするしかない。ただ、社会の厳しさに耐える云々は抜きにしても、単にひとりの人間としても先に記したように、過去に辛い経験をしたことがある人はとても魅力的だとは思います。

で、システムの話で言うと、よく「社会に出るとまったく違う」と、大学までの栄光が会社員になってまったく通用しないケースがあるけれど、(大学も就職も未経験なので想像ですけどテヘペロ)これは見方を変えれば「学生時代の悪い思い出なども清算できる」ということなのではないかと。いじめられていた過去は切り離し、その辛い経験で叩かれた玉鋼の心と身体だけもって社会に出ることができるのだと思えば、学校という世界から出て社会に飛び出せること――学校というシステムとその先の社会のシステムがあまり地続きでないことは、未知への恐怖よりも、希望への航海とすら言えるような区切りに成り得るように思うのです。


最後に、そもそもが、子どもたちの精神的な成長であるとかを抜きにしても、社会が子どもを救うべきであって、いじめの問題は根本的な学校とそれを取り囲む組織の、これまたシステムの問題であると言う方が多く、また僕もそうだとは思うのですが、現状の学校教育がどうしても一定数の子どもを地獄の底に突き落としてしまうものであるのなら、そのシステムを変えるために努力することも必要だけれど、ではそれが変わるまでの間犠牲者が出ることはしょうがないものとして諦めるのかといえば、そんなのはNOに決まっているわけで、せめて同じ社会に生きる我々がその谷底から上がってくる子どもの背中を押すなり、手を差し伸べるなりするべきでしょう。いじめていた奴らのDisにリソースを割いている場合じゃないだろうと思う。

まあ、ここで書いていることなど綺麗事で、社会に出るどころかいじめで受けた傷が一生ふさがらずに引きこもっているような人だってたくさんいるのだろうけど、それでも生きていてほしかったなと思う。語弊ありまくりな書いてしまえば、「もし生きていて俺と出会う機会があったら、いじめられていた頃の話を聞いてゲラゲラ笑ってやるのになあ」などと思うのです。辛かっただろうね。

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