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あなたのいない世界で×あなたのいない世界で×あなたのいない世界で×あなたの……
コチラのエントリーの続きと言えば続きでもある、ワタミ社員の過労死に関してTwitterでダラダラ連投したものをまとめたものです) 

 ワタミフードサービスに入社した社員が2ヶ月後に自殺した事件について、神奈川労働者災害補償保険審査官が労災認定したことが判明したのが先週のこと。それ自体は本当に悲しいことであるのだけれど、個人的にはその後のワタミを叩く言説には強い違和感を覚えた。 

 このような記事が出たりして、その内容自体は僕も頷けるものがあるのだけれど、しかしなあ、などとずっと思っていたのだが、そんな中赤木智弘氏が書いたこの記事をたまたま読んだ。 

 僕の思うところも大体この記事のとおり。「今、ワタミを叩いて満足している人たちは、ワタミ叩きに飽きれば、また貧しい人達を叩き始めるのだと、私は考えてしまうのである」という部分が特に。Twitterにおける渡邉美樹氏の発言を見て脊髄反射的に叩くような人は、そもそもあまりこういうことに興味がないのでは――と失礼ながら思ってしまう。そもそもこの件を知らなかった人も相当数いたんじゃないかなと。 

 もちろん知らなかったら文句を言っちゃいけない、なんてことではないけど、ずっと心を痛めてきたであろう人たちがいることを思えば、少しは落ち着け、自重しろと言いたくなった。

 で、赤木氏の言う“現状”、個人的に本当に嫌なことになっているなあと前々から思っていて、ワタミは特に好ましくない点があったので、まずそれについて。

 お洒落な雑貨屋&本屋であるヴィレッジヴァンガードと、モンテローザ系に比べると若者が行きやすい低価格居酒屋チェーンであるワタミグループ。僕はこの両者があまり好きではない。とはいえ、別にお洒落ぶってるから嫌いというわけではない(正直ヴィレヴァンの棚作りがそんなに魅力的だとは思わないのだけれど)。

 なぜかと言えば、賃金体系に不満があるから。最近は目にする機会もないので、今はそうではないかもしれないがその場合はご容赦いただきたい。また、社員のことは分からず、アルバイトの話なのだけれど、ワタミはモンテローザ系などの同レベル価格帯の居酒屋に比べて、時給が50円くらい安かったと記憶している(ちなみにヴィレヴァンに関しては店長を務める方の給与を伺ったことがある)。

 繰り返しだけども今は知らないが、その状態が変わらないとして、なぜワタミはそれでやっていけるのか。そのヒントは実際に店に行けばなんとなく分かる。ワタミのアルバイトの平均年齢は、モンテローザ系に比べて若いように感じる。少なくとも、有意性のある数字の差はなくとも、精神的なそれには明らかに差があるのではないだろうか。

 その若い感じをザックリ言ってしまうと、「人生を楽しんでいそうな人が多い」となる。引き合いに出して申し訳ないのだけれど、うすた京介先生のこの発言に全てが凝縮されていると思う。以降、このリア充感を「ナオト感」と呼称する。

 時給と引き換えに、ナオト感のある人たちをワタミに向かわせるものは何か、と言えば、それは仕事をする上での「やりがい」だろう。同じ時間帯に同じような仕事をするのであれば、時給はよいほうがいいのは当然ながら、同様にどんな場所でどんな人たちと働くのかも非常に重要だ。時給2000円のバイト初日で馴染めず辞めてしまっては働く意味がない。

 そのやりがいを裏打ちするかのような「素直なれ 原点にこだわれ 感激せよ 挑戦せよ」というワタミのスピリチュアルな社是を胸に、活き活きと働く楽しい仲間たち――というナオト感をワタミが上手くマネージメントしているのは大したものだが、僕はどうしてもそこに宗教的な臭いを感じてしまう。

 そこで働いている自分を好きだと思えるような職場づくりをできているのだから、それはワタミの企業努力を褒めるべきであるという思いもある。しかし、やはりその代わり時給を安くするというのは、少なくとも僕には馴染まない考え方だ。

(――とTwitterでは書いたが、まとめるに当たって今フロム・エーで検索してみたところ、ほぼ同水準になっている模様。ただ、やはりモンテローザ系のほうが少し高い条件が多く目についたように思う。精査する時間はもったいないので細かいデータは取らないいい加減な主観の文章であることをご承知おきください)

 ちなみに「やりがい」とナオト感はおそらく比例していて、普通の「和民」と「坐・和民」や「わたみん家」では、おそらく後者2つのほうがナオト感溢れる店員さんが多いのではないだろうか。働く側としても、普通の居酒屋より、ちょっとこじゃれた内装の店で働くほうが、自らを称揚できるに違いない。

 とはいえ綺麗と言っても所詮はチェーン店で、もっと素敵な空間の飲食店はいくらでもあるだろうし、そこで仲良くなれそうな人たちが働いていたところで、それだけでやりがいを感じられるかと言えば、そう単純なものではないだろう。ちなみに、高級店では逆に自分にそぐわない、と尻込みする感情もあるだろうし、チェーン店である敷居の低さも大きな要因であるとは思うのだが、主たる要因ではないと考えるので置いておく。

 ここで重要な役割を果たしたのが、社員ではないかと僕は推測する。自分の話で恐縮だが、生まれて初めてしたマクドナルドのアルバイトで、年間何百時間にも及ぶサービス残業をしたことがある(ずっとではなく何百と確実に言えるのは1年くらいだと思うのだが)。それに不満があるわけでもなく、僕は自ら望んで手伝っていた。つまり「やりがいを感じていた」わけだが、ではなぜ自らサービス残業をしたのかと言えば、毎日遅くまで残り、タクシー帰宅もざらにある社員(当然タクシーチケットがあるわけでもなく)があまりに気の毒であったからだ。

 感謝されれば素直に嬉しかったし、助けてあげたいと自分でも思っており、鶏が先か卵が先かは分からないが、とにかく気がつけばサービス残業が当たり前になっていたのだ。やりがいが全てサービス残業に繋がるわけではないものの、1つのモデルケースとしてそれなりに有意性はあるのではないだろうか。

 勝手な妄想でしかないかもしれないが、この自分の経験はワタミの事件とも像を結んだように思えるのだ。アルバイトの話でしかなく、亡くなったワタミの社員の方に同様なやりがいがあったのかは知るよしもない。しかしアルバイトの時給が安いことと、それでもワタミの店員さんのナオト感が半端ないことの理由はその辺りに起因するのではないだろうか。何年か前に行った赤羽のわたみん家の店長さんの接客など、冗談抜きでされていて胸が痛むほどであった記憶がある。

 もちろん度合いは様々だろうが、ワタミに限らずどの居酒屋チェーン店の社員も、特に深夜番となればサービス残業などは当たり前のことだろう(想像だけでも確信に近い自信があるが、例えば日本海庄やでも過労死事件が起こっている→参考リンク)。なので、言葉は悪いが「社員の気の毒感」はワタミだけの話ではないだろう。しかしそれに、綺麗な内装、年や感覚の近い愉快な仲間、スピリチュアルな社風、と来ると、否応なしに眼前に屹立する宗教じみた「やりがい」の壁が見えはしないだろうか。少なくとも僕にはそう見えてしまうのだ。

 また見方を変えれば、アルバイトだけではなく社員の方にも、サービス残業もものともしないやりがいと、スピリチュアルな高揚感があったのではないか――などと、日頃の渡邉氏の言説を見ているだけで思ってしまったりもする。ヴィレヴァンも同様で、書店員は薄給の代名詞なのでアルバイトではそれほど差はないと思うのだけれど、大手書店と比べると社員の給料は明らかにおかしい(僕が話を聞いた方に特殊な事情があるかもしれないので、これをソースとしてヴィレヴァン叩きをすることなどはご勘弁願いたいが)。しかし働いている多くの方は、ヴィレッジヴァンガードという特殊な店を自らが作り上げているという喜びを感じておられるはずで、もちろんそのような社風を築き上げたことは賞賛に値するものの、役員側がそれに胡座をかくことは、繰り返しになってしまうが個人的に馴染まないやり口だ。

 とはいえ、これらは想像でしかないので、一旦給与水準については忘れよう。自らが働くことで何かの役に立っているという感覚が得られるのは喜ばしいことだし、渡邉氏のビジョンがとても魅力的なものであれば、その一翼を担うことに大きなやりがいを社員の皆さんは感じておられるに違いない。――と、これは意図的にいやらしい書き方をしてしまったが、どれだけ素晴らしいビジョンがそこにあったところで、それを実現するために入社した部下が、結果として命を落すようなことが起きてしまうのでは、社員たちを「仲間皆で」と形容するような組織づくりそのものを「洗脳」と僕は形容したくなる。

 話は逸れるが、そういう意味で、ヴィレヴァンよりもワタミのほうが肌に合わない。ヴィレヴァンは洗脳というより自己催眠に近いメンタリティがあるように感じている。

 閑話休題。ただ、問題は往々にして、亡くなった社員の方はともかく、おそらくワタミ系列店で働くナオト感溢れる方々が、時給が安かろうと問題だとも思わず、時折辛いと思うことはあっても、素直に日々楽しく仕事に取り組んでいるだろう点で、これは意外に根が深いと感じる。また、実際に納得して働いているのであれば、何ら問題はない、と言えるだろう。

 しかし、果たしてそれでいいのだろうか? と、僕はどうしても思ってしまうのだ。本当にその環境が自分を満たしてくれるものであれば、本来僕なんぞが口を出すべきことではないのだけれど、ひとつだけ、「しかし彼ら彼女らがそれだけ充実して働くことができているのだとすれば、単に比較対象がないからなのではないか?」という疑義を呈することを許していただければと思う。

 あまり突き詰めてしまうと、人生は全てそういうものであり、それを悲劇とするならば、それこそ人間の人生に幸福などない――という結論に行き着いてしまうようにも思うのだけれど、しかしもう少し世の中を知っていれば、「そのスピリチュアル感に搾取されていないか?」「ワタミが悪いわけではないけど、もっといい環境と条件で働けそうなところもありそうだから、他のアルバイトも常に探してみよう」などと思えたりすることもあるのではないだろうか。

 しかし人生は有限で、例えば大学入学と同時に上京して初めてのアルバイトを探している人がいたら、よほどブラックなところでなければ、ただ働いて誰かに感謝されてお金がもらえるというだけで、ごくごく普通の環境でしかなくても、「こんなにいい職場はない」と思いやりがいを感じても何らおかしいことではない。


 ここで一気に話のフェーズが変わるが、だから、人間には「物語」が必要なのだと僕は思う。

 『漫画家残酷物語』でも『居酒屋』でも『ニコニコ時給800円』でもなんでもいい。物語に触れることで、自分が実際にそれを体験するよりも大幅に短い時間で、他の選択肢の存在を人は知ることができる。

 そして物語の優れた点は、「それが現実であろうがなかろうが、目の前の比較対象に対する評価基準をより確かなものとする効果に、変わりなどない」という点だ。『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』を読んで「めちゃくちゃ可愛いじゃねえか、バカ言ってんじゃねえよ」と現実の妹に不満を抱く男がいたならば、それも物語の力のひとつの発露であると言えるはずだ(ダメ発露だけれども)。同じように、何か労働に関する物語に触れた人が、「この主人公愚痴ってばっかだけど俺の職場より全然いいじゃねえか」と思うこともあるだろう。当然それが勘違いである可能性もあるのだけれど、それは全てにおいて言えることで、それをもって現実を測る物差しとして物語を使うことを否定することはできないように思う。

 だから、取り返しのつかない時間を大量にベットする必要がある人生のギャンブル(就学・就職・結婚など)に臨む際には、できるだけその前にシミュレーションをしたほうがいいし、そのシミュレーションに最も有用なのが物語なのだ。

 そして本当に残酷なことを書いてしまうが、亡くなった社員の方の人生も、すでに「ニュース」であると同時に1つの「物語」になっているのだ。今はまだニュースとしてのインパクトが大きすぎる状態だけれど、いつか若者が自らの未来をよりよいものにするための物語のひとつとして、この悲劇に触れ、何か思うところがあるようであれば、亡くなられた方の魂も慰撫されるのではないだろうか。

 言い方を変えるなら、それこそが人間の素晴らしい点であり、死んだら何も残らない僕たちがこの世界に生まれ落ちた意味というものがもしもあるのだとすれば、きっとそういうことなのではないだろうか(蛇足ながら、後世の誰にも影響を及ぼさない形で人生を終えた人の物語が無意味であるというわけでは断じてない)。集積された、歴史の悲しみに満ち満ちた美しさを、しかしそれから目を逸らすことなく正面から見据え続けることこそが、何よりも先人に対して敬意を表するに繋がるように思う。

 逆に言えば、フィクションの物語とは違い、その物語に相対する際に、一定の敬意をもつことは必須であると言えるのだけれど。


 そして、ようやくここから冒頭の以前のエントリーの続き、と言える部分に入るという体たらくなのだけれど、一旦項を改めます。長すぎるわ我ながら。


  

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