<< 中村とうよう氏死去 | TOP | Imagine all the people >>
人間の値段
僕は、自分の生活レベルでは外食自体が贅沢なので、牛丼チェーン店だろうが滅多なことでは行かないのだけれど、先日勤務先近くの松屋に行った。

そして、分かっちゃいたのだけれど改めてあまりの安さにクラクラしてしまった。そりゃあ(賄い無料云々はまた別の話としても)アルバイトが労働組合作りたくもなるよなあ、と。すきやは深夜1人体制のおかげで、強盗の狙い撃ち状態になっているし。 

食べ物があまりに安い値段で供されるということは、結局のところその食べ物で作られている我々人間の値段も安くなっていくということだと思います。殊に牛丼のチェーン店や激安弁当なんてのは、直接削られるのが人への対価なのだから分かりやすい話ですが、結局そういうのは総体としての人類にじわじわと影響をもたらしていくのだろうなあと思っています。 

で、松屋のあまりの安さから、中村とうようさんに思考が飛んでいった。中村さんが亡くなったことに対して、大きな動揺を見せている人は僕の同年代では音楽を生業にしているような人を除けば、僕がTwitterで見ている限りでは1人しかおらず、そのほとんどが30代後半より上の年代の方ばかりであったように思います。 

それが何を意味するのかと言えば、在野の音楽好きがレコードやCDを買いあさり歴史を辿り、今のようなブログで1億総評論家時代、みたいな意味合いとは異なる風合い、言うなれば批評そのものが表現として成立しうる真の意味での評論を志向していたように思えるような時代のピリオドが、確実に打たれている世代の断絶があるということだと思います。 

では、それ以降の世代はどのように変化していったのかと言えば、やはり単純に音楽に注ぎ込む時間や金額、熱量が下がっていったのでしょう。もちろんそれは悪いことではありません。他の選択肢が増えたことがまず挙げられて然るべきですし、外の世界へコミュニケートする手段として音楽に触れていたような人が、携帯電話を手にして身近な人たちとよりコミットすることを望んだ――といったケースもあるでしょう。インターネットも同様です。 

また、「音楽」への愛情というよりも「好きなミュージシャン」への愛情として、グッズやツアーに余剰を全て注ぎ込むといった形の触れ方が増えてきたのも、僕たちの世代以降に顕著な特徴ではないかと推測しています(それに関してはミュージシャン側の仕掛けも大きな理由として挙げられるべきではあるものの)。 

そのように「趣味」への選択肢が爆発的に増えたこの時代において、これは鶏が先か卵が先かという話ではありますが、フリーターレベルの収入で携帯電話とインターネットに加入した上で、CDを買いまくるなんてことは、難しくて当然という話であり、若年層と中村とうようさんの死に衝撃を受けている方々の層と隔たりがあるのは無理からぬことであるのかもしれません。 

とはいえ、後者が皆裕福であったはずもなく、やはりお金がないからと言って古本屋で漫画を買ったりアルバムを違法DLしたりすることを仮にしょうがないとしても(そもそも中古品を買うことは遵法ですが)、中古のような価格でしか自分が「好き」だと思っていることにお金を払えない(再度そもそも、違法DLは払ってすらいないわけですが)というのでは、やはり好きだったはずのものへの愛情も少しずつ梳られていき、引いてはその好きなもの自体も魅力を失っていくのではないでしょうか。そして、既に失いつつあると見做している人も随分多いようです(僕はまだこれっぽっちも絶望してはいませんが)。 


で、最初の松屋の話にようやく戻るのですが、人間を形成しているものは食べ物だけに非ず。少なくとも現代を生きる我々は、これまでの歴史が形成してくれた「文化」によってもその多くを形作られているのではないでしょうか。 

つまり、食べ物が安ければ安いほどいいという考えと同様に、文化にできるだけ対価を払わずに済ませたいと思ってしまう考えは、結局のところ人間の価値を損ねることに繋がってしまうのではないかと思われてならないのです。 

要するに今、心(文化)と体(食事)の両輪がともにじわじわと、しかし確実に磨耗しつつあるのが我々の生きる社会なのではないかと思っています。それは方々に影を落としていて、原発事故に関する問題なども、そういった方向性の1つの顕在化でしかないようにすら思え、個人的には、放射能などとは一切関係ないところで、今後日本中に様々な形でその影の悪しき影響が顔を出してくるようにすら感じられてなりません。 

そして、中村とうようさんの死を嘆いておられた諸先輩方は、あるいは体(食事)のことは顧みていなかったかもしれませんが、心を満たすために時間と金銭を注ぎ込むことを惜しまなかった方たちなのだと思います。 

もちろんそれをもってして、今の若者を責めるつもりは一切ありません。お金がないというのは本当にどうしようもないことだし、あったところでこれだけ表面的なコミュニケーションが容易な時代に、わざわざ文化にお金を落とせというのも難しい話だと思います。音楽に限らず、本や漫画の中古販売、ファストファッションの隆盛など、全ての文化がそのような方向性に進んでいるようですし、そもそもが「文化」そのものが、対文化を通して世界とコミュニケートするためのツールではなく、同じ文化を好む人と人のコミュニケートを促進するためのツールとして使われるケースが増えている気がします。 

それに、文化や人間の尊厳なんていうものは、歴史と数の集積の上でしか分かりやすい結果としては立ち上がってこないもので、たとえば立ち読みや中古販売でしか漫画を読んでいなかった少年が、全部新品で買うようになったところで、その結果急にモテるようになったりするなんてことは、悲しきかなまずありません。 

ただ、それでも、もしも自分が、本当に何かの文化を愛好しているという自負がありながらも、どうしても貧しくて、ついついCDを買わずに違法DLしてしまう――なんて人がいたら、全部じゃなくても月に1日バイトを増やして2枚は新品で買うだとか、そういう風にちょっとだけでもシフトチェンジしてくれたらなあ、とは思うのです。ボロは着てても心は錦って、なかなかいい言葉ですよ。 


でも、本当に――まあ、中古はともかく違法DLは止めてほしいとは思うのですが――、僕もフリーターに毛の生えた程度の稼ぎしかありませんから、そもそも先立つモノがないという人の苦しみは凄く分かるつもりだし、それ自体を偉そうに責められるほどの人間ではありませんが、ただ食にせよ文化にせよ、自分が必要と思って摂っているものを極力安く済ませようとしながら、それで形作られた自分のことは最大限に理解してほしい、愛してほしいと思っている若者は、正直なところ多すぎる気がしています。 

それはさ、やっぱり、矛盾しちゃっていやしないかなあと。俺は払いたくないけど、俺には払ってくれって、やっぱりそれは虫が良すぎる。愛されたいくせに、愛されるための努力は一切しないで、そのくせそれで愛されないとなると、その現状を呪ってばかりの人。そりゃあ愛されるはずもないですよ。
 
はてなブックマーク - 人間の値段 | 04:48 | 戯言 | comments(0) | trackbacks(0)
コメント
コメントする










この記事のトラックバックURL
http://diary.clue-web.net/trackback/1000557
トラックバック