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中村とうよう氏死去
先週の木曜日、「嫁の余命が残り2ヶ月とか言われたんだが」という2ちゃんねるのまとめスレを読んだ。ただ人が死ぬだけではそんなに興味を惹かれないタイプなのだけれど、同様に単なるお涙頂戴にはまったく感応しなさそうな知人がTwitterで泣いたと書いていて、この人を泣かすのは相当だろうなと思い、2時間くらいかかったが一気読みしてみたのだ。 

で、実際面白かった。言葉は悪いけど。余命2ヶ月と言われた嫁の夫である>>1が、ちょっとそうそういないレベルで聡明な方なので、非常に読ませる。死生観はかなり近いものだと感じた。 

そして、その翌日に、漫画家の永野のりこ先生が、急逝されたばかりの和田慎二先生に寄せたブログ記事を書かれているのを、これまたTwitterで見て、人の生き死にについて思うところが色々とあり、時間があったら適当につぶやいて残しておくかと思っていたら、これまたTwitterのタイムラインに、中村とうようさんの訃報――それも自殺と目される――が飛び込んできた。 

それで一旦全部吹っ飛んでしまったのだが、翌日にTwitterでつらつらと連続でつぶやきまくったものをまとめておきます。

若い人は何が何やらかもしれないが、中村とうようさんは『ミュージック・マガジン』を創刊(創刊当時は『ニュー・ミュージックマガジン』)した音楽評論家で、ご本人はワールドミュージックに依っているのだけれど、ジャンルがどうであれ、日本の音楽評論というものはこの人がいなければ確立していなかったに違いない、と言い切れるレベルの方。 

ベクトルがそもそも違うんだけど、ロッキンオンを作った渋谷陽一さんなんかとは比肩しようがないと思っている。反対意見も多くあるという点においては、ワインにおけるロバート・パーカーJrみたいなものかもしれない。パーカーポイントも中村さんの採点も100点満点だし。 

で、かく言う僕も、『ミュージック・マガジン』なんて難しくてよく分からない、って感じの人間で、雑誌も購読していないのだけれど、しかしどう考えても、その影響がいかに広く深いものか、というのは、いっぱしの音楽好きとして嫌でも理解できているつもりだ。 

僕がNusrat Fateh Ali Khanを聴いたことがあるのは、十中八九宗像明将さんかサラーム海上さん経由だと思うのだけれど、そのお2人に氏が影響を与えていないわけがない。そうであるなら、すでに僕は氏の恩恵を受けているわけで。 


ちょっと話は逸れるが、直接知らないことにケチをつけたがる人も中にはいるかもしれないけど、それはナンセンスだと思う。そういう人は考えを改めたほうがいい。 

なぜなら、人間の一生は限られている。せいぜい生きて100年として、攻殻機動隊のような世界にでもならなければ、人間がインプットできる情報の限界は、瞬間記憶能力があったところで、どの程度のレベルかは、個人的な感覚では想像の範囲内。 

瀬川昌久さんがジャズのほぼ全てを網羅することは可能かもしれないが、2300年生まれのジャズ評論家が、全てのジャズを聴き果せることなど不可能に違いない。そうであるなら、そして今後何百年後の世界でも、人間の生活に文化が正しくあるのであれば、その文化を継ぐ者たちは、体系化されて余計な情報をそぎ落とされた歴史を受容し、孫引きの知識を自分のものとする必要に、否応なしに迫られるはず。 

つまり、文化の価値と力を信じる人間であればあるほど、知らない自分が偉そうに言うのはおかしい話だと思いはするものの、直接知っていることの価値を、殊更に主張するような愚を犯してはいけないのではないかと思うのだ。その行為は、未来へ受け継がれるべき文化のラインを細くしてしまうだけなのではないか――と。もちろん、「それは受け継いじゃダメ」ってハンチクなのは、叩き潰しておくべきだとは思う(笑)。 


よく知らないくせに中村さんの訃報に衝撃を受けたことに対する言い訳だけで、すでにお腹一杯の長さだけどここから本題。 

ちなみに、そんな偉人の割には、若い人にはあんまり知られていない(mixiニュースの、ニュースについて書かれた日記の件数も、著名人の訃報の割には少なかった気がする)と思うのだけれど、その点については私見があり、それもTwitterではつぶやいているので別項でまとめるつもりです。 

こういった訃報に触れるたびに思い起こされるのが、岡本かの子の「歳歳に我が悲しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけり」という歌。 

実際には、女性でしか感じられない業や感覚がかなり織り込まれた歌であるようには思うのだけれど、元々詩歌を解する心がないので、勝手に言葉面だけを捉えて、年々悲しい思いが増えていく人生こそが素晴らしいものであるのだ、と解釈している。 

当然ながら、ただ嫌なことなどないに越したことはないが、悲しみを覚えるということは、それだけ喜びを知ったからであるはず。 

そして、両者は基本的にはまったく離れた地平の話で、ある悲しみの根拠は、まったく別のところで覚えた喜びであることがほとんどだと思う。リビアのことを思えば、たとえ今後どれだけ放射能の被害が起きたとしても、日本で生活できているだけ幸せなのではないか――といった、天秤の両端で比較する感じというか。 

しかし、人間の生き死にに関してはそれが全て表裏一体になる。これだけ死んでしまって悲しい人がいるということは、その人が生きている間、自分に生きる喜びを与えてくれた人なのだ――といった具合に。 

だから、僕は悲しくなる訃報に接する度に、本当に言葉は悪いのだけれど、生きていてよかったという感懐に同時に打ち震てしまう。悲しみがあることに感謝したくなる。確かアベフトシが死んでしまったときも同じようなことを書いた気がする。 

井伏鱒二の訳した「さよならだけが人生だ」も、因数分解すればそんな話なのだろうと思う(寺山修司の返歌もよく分かるけど)。いなくなってほしくない人がたくさんいる人生は、やはり素晴らしい人生であるに違いない――と。 

これは完全に以前Twitterでつぶやいたことのコピペなんだけど、新たに大切な人と出会えたその時点で、いつか別れる可能性という悲しみの種は蒔かれている。それでも、基本的に人間はその世界を拡充することを欲して、大切な何かに出会おうと手探りを続ける。 

そして、増えていく死別の種が開くことが、出会う喜びよりも耐え難くなったなら、そして人を悲しませるよりも、自分が悲しむほうが苦痛になったなら、そのときはきっと、十二分に生ききった、死ぬのに最適なタイミングなのだろうと思っているのだけれど、じゃあ自分はどうなんだと言ったら、和田先生も中村さんも原田芳雄さんもAmy Winehouseも、亡くなってしまったことは本当に残念なのだけれど、言葉は悪いが僕はまだ悲しみ足りていない。もっと悲しませてほしいとすら思っている。もっと悲しみたいし、これからもそのための種を仕込み続けたい――と現時点では思っている。 

さっさと人生畳んでしまいたいという思いも正直ありますが、そのためにも種を蒔き続けるべきなのでしょう。いつになったら悲しみたくなくなるのか、自分でもよく分からないけど、直感では多分まだまだ足りていない。 

何かひとつを喪った程度で心が折れることはおそらくないくらいに、多方面に愛することのできる何かを見出してきたつもりでいる。そうやって、新しく恋に落ちて、何かを喪って――を繰り返した末に、もういいやと思って死ぬときに、何かの文化を繋げる程度の知見を得ることができていればいいな、とぼんやり思いはするものの、正直他人様のことはまったく関係なく、自分だけの快楽としてもまだまだ「悲しみは深くして」いくことを望んでいる自分を感じる。 

だから、まあ、かかってきやがれ、と。本当に生きていて、気が触れそうなくらいに楽しいですよ。 

そして、そんな風に思っているので、おそらく僕が中村とうようさんの財産を最も間接的に享受したであろう存在である宗像明将さんが、「ご冥福を、とはあえて言いません。中村とうようさんの有形、無形の遺産をなにがしかの形で継承したい。そう考えます」と書かれていたのには、本当に魂が震えた。 

http://www.outdex.net/diary/archives/2011/07/post_1289.shtml 

最も直裁的な形では、異性同士で愛し合って子どもを残す、というフォーマットで我々は歴史を繋ぐことができるわけだが、人間がヒトではなく「人間」であるために真に必要な、繋がれるべきものというのは、そういうものなんじゃないかと思う。リアル『星を継ぐもの』というか。 

僕は一生子どもが欲しくないのだけれど、命の代わりに、何某かの星を未来に継げる人間ではありたいと思っています。 

正直、飛び降り自殺だなんてなんて迷惑なことを――とか、震災に関する『ミュージック・マガジン』誌の連載「とうようズトーク」の内容とかから、自殺という最期を選んだ事自体に怒りに近い感情を抱いていたりもするのだけれど、それでもやはり、感謝を捧げるべきなのだろうな――と今は思っています。どうぞ安らかに。

 

はてなブックマーク - 中村とうよう氏死去 | 02:48 | 戯言 | comments(0) | trackbacks(0)
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