コチラのエントリーの続きです。
上記エントリーにて、厭味のようなことを言ったタイトルになぞらえての、本エントリーのタイトルですが、正直グダグダであります。ただ、グダグダなのを出したくなければ投稿しなければいい、というだけの話で、何だかさっきのでは、僕のような最底辺ライターが何を偉そうなことを言っているのだ、という感じでしたので、「お前の方がよっぽどアレじゃねーか」感を醸し出すことで安心したかったので敢えてポスティング。お目汚し失礼いたしました。そしてB'zファンの方がおられましたらごめんなさい。
漫画から話を戻しますが、正直なところ、僕は歌詞に関しては、漫画ほど厳密にルールを課しているようなところはありません。
それにはまず、スキャンが必要ないという手間の側面を第一に挙げる必要があるでしょう。目で見たものを瞬間的に画像にできる攻殻機動隊な技術があれば、僕は漫画でもそういうことをしている可能性は非常にあります。
以下、その程度のネット・リテラシーの人間が言っていること、という大前提の下で聞き流してやっていただければ幸いです。YouTubeの紹介はちょくちょくしていますし。要するに、自分が手を汚していなければいい、っていう程度の人間です。
ただ、それを抜きにしても、漫画に比べて「権利が発生することは承知の上だけれど、歌詞だけを紹介するなら、大したことではない」という認識があります。不遜を承知で言うなら、それが良い歌詞であれば、明らかに曲に対しての興味も向上するだろう――と言ってしまってもよいかもしれません。
楽曲をセットにしていない、作詞専業の方からしても、それは同じ話だと思うのです。それこそ、どんなに、それだけを抜き出してお金を払う価値があるような美しい歌詞を書いたところで、その曲が売れなければ作詞家の方へも印税が入ってこないわけですし。
そんな風に考えているので、免罪符を掲げながら、というつもりはありませんが、僕は歌詞に関しては結構ブログなどで書いていると思います。歌詞を紹介するため、というより、それに気づいている方がどれだけいるかは分かりませんが、日常の日記の言い回しにそのまま使ったりすることは特に多いです。それ自体には使用料が発生しないものの、曲名では特によくやっています。
分かりやすい例として、なかなかにヘヴィな病気と戦うために入院中の僕の知人が、先日mixi版Twitterみたいなボイスという機能にて、
ちょ…myiPodでシャッフルしてたらミッチーの「死んでもいい」だし。しなねいょ(^ω^)
と投稿していたことがあったのですが、それを受けて僕は、
なんて思えちゃうくらいの治療を私にください、ってわけね。
と返したことがありました(該当曲の歌詞はコチラ)。
これは明らかにJASRACにお金を払う必要はない類ですが、そうではないそのまんまの引用も、結構しているんじゃないかと思います。まあ正直、僕はあんまりオリジナルで生み出す能力はないけど、そういうのはふと頭の中でパッと繋がるほうなので、僕がなんか上手いこと言ってる風だったら、それは元ネタを見た方がご存じなかっただけで、何かの引用である場合がほとんどだと思います(苦笑)。
まあともかく、そんな感じなので、とりわけTwitterで使うくらいなら、別にうだうだ言うこっちゃないだろう、というのが正直な思いだったりします。
ちょうど、書く側専業の小室みつ子(まあ作詞家だけでなく、ご自分で音楽活動もされていますが、ここでは置いておきましょう)さんも、
"ブログやTwitterなどで引用された場合、【飽くまでも私個人の意見ですが】、著作権を侵害されたとは全く思いません。それさえも規制することは、文化の普及そのものを阻害する道筋を辿るようなもので、本末転倒だと私は考えています。文化は親しまれてこそ行き続けるのでは…。 "
"歌詞は本などで引用された場合はJasracに使用料を払っています。私自身が自分の著作書籍に引用しても払います。それはいいとして、歌詞の一節ををネットで誰かがつぶやいただけで仮に著作権料を支払えと言うのなら、私はやりすぎとしか思えません。 "
"商業的目的で歌詞を転載するのなら使用料が発生するのは当然としても、お金も取っていないユーザーがつぶやくことまで規制するというのは、いったい誰のために文化があるのかという、根本的疑問が私の中で生まれます。私個人は自分の書いた言葉に親しみを持って引用されれば嬉しく思います。 "
"侵害とは何か…「他人や他国の権利・領域などをおかして損害を与えること」 と辞書にありますが。果たしてブログやTwitterでつぶやかれたことで、私は損害を受けているどころか文化として浸透する機会を得ていると感じます。ただし【私自身の考えであって著作者全員の気持ちではありません】"
などとつぶやかれています。原文ママですが、「行き続ける」は「生き続ける」かと思われます(あと、本稿では関係ありませんが、自分の活動にJASRACが管理している自分の歌詞などを使用する場合、事前に申請すれば、それにも使用料を払うことは回避できるらしいです)。
まあ細かいことはともかく、これは小室さんほどの大物だから、というわけではなく、多くの表現者に共通した思いでしょう。しかし、必ずしもそうは思わない方がいることは自明であり、なればこそ小室さんもわざわざカッコで囲んで【私自身の考えであって著作者全員の気持ちではありません】と書かれているわけで。
この認識は当然のことで、僕も小室みつ子がこう言ってるんだからこれからも歌詞はバシバシ引用してやるぜ! とは思いませんが、そういった考えの下に、自分がネット上で書き捨てる文章とその中に登場する著作物に対して向き合っています。
長い長い前置きになりましたが、そんな僕が今回のケースに対してどう思っているかというと、菅原常務理事の言っていることに基本的に賛成しています。
もう一丁続く。