<< この世の果て | TOP | NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL >>
バイオ・ルミネッセンス
(当ブログの日記は基本ミクシィに書いた日記をコピペしておりますことを御念頭に置いてお読みいただければ幸いです)

私は「生まれてしまった」感の強い人間なので、誕生日に関しては何も書かないようにしているのですが(書いている人をDisる意図はまったくないことはご理解ください。むしろそれは健全の証でしょう)、設定によるようで私には届かないのですが、昨日は私誕生日でして、一緒に仕事している映像作家の名嘉真法久(名嘉真さんがメンバーのエイプリルズのニューアルバムが発売いたしました。宜しくね☆)はmixiからマイミクさんにの誕生日を知らせるメールが来ていて、伏せていたのですがばれてしまいました。居酒屋奢ってもらっちった☆

まあ、今年ばかりはmixiに感謝するべきですが、善意の押し付けとすら言えない、意図の分からない機能ですね。祝えというプレッシャーをマイミクの皆さんに与えているようで申し訳ないです。別に、誕生日です、嬉しぃー! って話じゃなければ毎年いくらでもあるのですが、誕生日に誕生日って書いてる日記に遭遇したら、おめでとうコメントを書かないといけない気に閲覧者の方にさせてしまう気がしてならず、恐ろしくて書く気が起きないのです(繰り返しになりますが、普通に書けること、そして祝われることは素晴らしいことです。僕の育ち方に問題がある。誕生日という風習もなければ自分でも特に嬉しいことではなかったし。そもそも、誕生日というもの自体は、私素晴らしいものだと思っております)。


で、話は一気にきな臭くなりますが、私年に1回くらい死ぬのが怖くてしょうがなくなる時が必ずあります。以前にも書いている話ですが。

その時は、決まって視点は元の自分のままなのに、幽体離脱して自分を見下ろしている感覚がジャミングされて、なんちゃってデュアルスクリーン状態になり、なおかつ元の視界もちょっと心もとなくなるというか、何かフィルターを通した感じになります。

その感覚は視覚だけではなくて、日頃特に意識しない感覚が全部何か越しな感じになり、手を動かすのに、手を動かそうと考えて動いていることが分かる感じになり、毎回必ず確認のために指を一本ずつ曲げてみることになります。こうして日記書いてるブラインドタッチなんかは、なんでこんな具合に指が動くのか分からないくらいにサクサク動いているのに不思議なものです(もちろんサクサク動くことは十分不思議でワンダフルなことですが)。

そして、必ず「あ、俺人間なんだ」と頭の中で言います。自分が何かの映画か何かを見ているどこかぶっ飛んだ存在などではなく、自分が人間で、人間という動物の眼球に光が差し込んでいるから、この視界のような光景を今自分は見ているんだか感じているんだかしているのだな、ということを再確認します。

その状態でも、まだ神経とそれによって操られる動作や五感の刺激の間には、薄皮一枚どころか雑巾か何かが挟まっているような感覚があるのですが、とりあえず自分が人間で1981年1月7日に築地で生まれて、生まれたときから頭が大きくて大変な子供であっで、その後一時だけ大森で育って――うんぬんかんぬんな長谷川真吾という人間であることは強く腑に落ちて、そして腑に落ちた瞬間、いつか自分が死ぬのだということに愕然とし、本気で凹むのです。

この、いつもよりどこか頼りない身体の動きすらなくなり、何も見えずに呼吸もできない闇に落ちるのか――と思い、そしてそう思うことすらできないことが「死」なんだよなあと思い、そしてそう思以下略を延々と続けて、この感覚がなくなるって何さね、とガクブルするわけです。


うんで、それが昨日の深夜にあったのです。そして、それが誕生日であったことに気がついたのはついさっきのことでした。

自分が生まれた日に、自分がいつか死ぬことに怯えるというのは、実にシャレの利いた話だと皮肉抜きに思います。やはり、人生とは素晴らしいものだと思います。

恐怖を感じることさえ生きている故だと思えば、私に恐怖を感じさせる対象に対しても、どこか親しみを覚えるような感があり、恐怖に対してさえそう思えれば、陽性の感情を与えてくれるものに対する畏敬や感謝の念たるや――という話で、俺の誕生日を祝ってる暇があったら、お前らの存在に感謝させろやといった感すらあります。

私にはメールはきませんが、デザインが変わったから今はどうだか分からないものの、たまにmixiでページを下にスクロールすると(基本日記を見るだけなのでほとんどしませんが)、誰々が誕生日ということが書いてることを目にすることはあり、それを見たところで能動的に祝ったりをすることは、最初に書いたような理由であまりこそばゆくてしないことがほとんどですが、マイミクでなくとも、このしょーもない長文をここまで読んだ方全てが、いつかの誕生日に生まれて今そうなさっていることを、心よりお祝い申し上げます。

まあ、私の周りの方々は大抵皆タフに生きておられますので、むしろ私がダントツで生きる気ナッシングな輩であると確信してはいるのですが、もしもあなたが自分の存在に疑問を持ってしまうような瞬間がおありでしたらば、あなたが世界を構成するひとつのピースであることにもっと誇りを持たれるべきでしょう。


話は逸れますが(逸れる以前にそもそもこれまでも一方向に進んでいない気もしますが)、そんな言葉はことごとく自分に返ってくるわけで、それでも私は自分は大っ嫌いですが、しかしそれも悪い話ではありません。

単純にするためにたとえを大袈裟にすると、人を殺すことに躊躇いがなくなった兵士も、大抵家族など愛する人間は殺せなかったりするものでしょう。その心は、大切な人間は殺せないように人間はできているものだから――という実に陳腐なものですが、要するに、自分以外の全ての人間を心から大切に思えるようになれば、世界から争いは消えるわけです。

理屈で答えが出ることだから、人間はそれをしてしまう。人を傷つけるという行為を、大いなるパラドックスに押し込めてしまえば、脳は答えを出す計算を永久に続け、その間人を殺せなくなるという次第です。

人間は素晴らしいと思うものをかき集めながら生きることで、まあ、かくいう自分も人間なので、そこまで悪くないんじゃね? と、嫌いになりに自分を誤魔化して生きる術なわけですな。


ただ、極端な例ではありますが、私自身は世界平和は決して実現しないと思っていますし、地球の人口は50億以上増えると不具合が起こると考えているので、人間同士で傷つけあうことすら、人口調整のシステムであると思ったり思わなかったりな節がありますが、手前のことはさて置いて、皆様に全ての人間を大事に思うあまりに誰も傷つけることができない馬鹿な考え方で、残りの人生をやり過ごすことを無責任にお奨めします。私は御免ですが。

行くとこまで行き着いた非暴力は最も暴力的なエネルギーを持つ解決手法だと思って、ガンジーさんは怖いお人や〜と常日頃思っている私ですが、そんな自分以外の人が全て大切な凶悪な超愛人間が誕生しないかなあと本気で思います。すげーぞ、そいつのうざさは。

時折思うんですけど、人間が滅亡するなら、全ての人間がそんな人間になってしまった世界で、誰も誰しもを傷つけることができなくなって人口爆発しまくって破滅、っていうのが凄いかっこいいシナリオだと思うんですよね。いがみあって核戦争とか、かっこ悪いじゃないですか。


まあ結局、そんな世界を夢想しつつも、適当に傷つけ傷つけられながら、ちょっとした何かに共感した人間同士が次第に肩を寄せ合ってコミューンを形成していく今のスタイルが断トツでクールだとは思っているのですが。でも、クールすぎてクラクラしちゃうことがあまりにも多いのが玉に瑕ですよね。時折もっと単純にならんのかい! と思わずにはいられない。

まあ、時折もっと単純にならんのかい! と思えること自体が以下略。

http://www.clublaugh.com/es-items/712.swf



JUGEMテーマ:日記・一般
はてなブックマーク - バイオ・ルミネッセンス | 03:34 | 戯言 | comments(0) | trackbacks(2)
コメント
コメントする










この記事のトラックバックURL
http://diary.clue-web.net/trackback/1000434
トラックバック
2010/01/09 6:14 PM
 子供の時から、三日坊主といわれた私ですが、この十年余、一度決めたことを、黙々として、継続してきており、”継続は力なり”などの友人に自慢している今日この頃です。
ガラス瓶に手紙を入れて
2010/07/02 12:38 AM
ほんの数カ月前から練習していますので、あなたとかなり近い存在です。無理なくできる、独自の「裏技」も教えます。 一緒にタイピングをマスターしていきましょう!
【1日10分】タイピングが早く、楽しく打てる裏技!