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Live Till I Die
JUGEMテーマ:音楽

昨日のこと、2千円落とした(笑)。それも、人の金である。それを経験したのが8・9年前のことなので、印象論でしかないのだけれど、馬券で20万スった時よりも凹んだ気がする。

片方穴が開いているジーパンの後ろポケットの、穴が開いているほうに勘違いして入れてしまっていたのである。落とすまでの、仕事場からスーパーまでの道中は、ホームレスもたまに見かけることがあるので、せめてホームレスのおっちゃんにでも拾ってもらえればなあと思う。

11月くらいに、クリスマスイルミネーションの点灯イベントにジャニタレが出たりして、それを取り上げるニュースにおいて「ファンにとっては一足早いクリスマスプレゼントになりました」という言葉が乗っかるのは最早毎年恒例のこととなっているが、これを聞くたびにアホか、百歩譲っても一足早くも遅くもない単なるプレゼントだろう、と思うのだけれど、この我がボーンヘッドは、一足遅れたクリスマスプレゼントと言わざるを得まい。あわてんぼうのシークレットサンタ、クリスマス後にやっちゃった――である。


で、今日、起きたらやばいくらい腹を壊して、一緒に仕事をしている映像作家の名嘉真オフィス欠勤。今日は彼がメンバーのエイプリルズのライブで、僕は完全に荷物持ちとして計算されているのでまっこと申し訳ないことをした。

ただ、日頃体型を保つことには興味はなく、ただ服がサイズ合わなくなって着られなくなったら困るので、ある程度太ってきたな、と思ったら筋トレを過剰にやって一気に減らすという、ちょうどいいラインを中心に上がったり下がったりを繰り返すのが好きなのだが、そろそろ腹筋をがっつりやるかと思っていたのだけれど、トイレに篭っていたら大分腹が凹みました(笑)。腸閉塞とかにならなくてよかった!!


で、夕方頃からのそりと起き出して、積んである漫画を消化したりしたりしていたら、Vic Chesnuttが亡くなったことを知った。JBと同じ聖夜に、自殺であったそうだ。

正直なところ、自殺に対しては、あまり驚けない感情がある。フジファブリックの志村正彦さんに関しても、ファンの方の自殺かもしれない、という懸念が散見された(どうやらそのようなことはなかった様子だが)。こんな時代では、表現なんぞに携わっていなくとも、自殺したくなってしまうことは、そりゃああるだろうさと思うのだ。

仮に自殺の報を耳にしたとして、「絶対嘘だ、謀殺だろう」などと思うに違いないと確信できるのは、パッと思い浮かぶ限りでは、堀江貴文氏くらいである。

だから、不思議なことに、悲しいとは思うのだけれど、無念であったりする思いはあまりなかったりする。僕が世界を動かすような立場の人間だったなら、もっとこうすれば彼は世を儚むことはなかったに違いないのに――などと悔やんだりしたのかもしれないけど。


話が前後するが、友人が、それまでは聴いたことがなかったのだけれど、フジファブの『茜色の夕日』をYouTubeで聴いて、こみ上げてくるものがあったのだという。上手に言語化できないのだけれど、僕はそういう悼み方もあるのだな、と思い、それはとてもいいことだと感じた。

志村さんが音楽を始めたきっかけであり、彼をかわいがっていた奥田民生が、カウントダウンジャパンのひとり股旅にて、同曲を弾き語ったのだけれど、詰まって上手く歌えずに、会場のお客さんも泣いている人がたくさんいたそうだ。

それはとても美しい話だ。ただ、僕が大のフジファブファンと、まったく知らない人のちょうど中間あたりにいるから、そのようなことを思うだけであるようにも思うのだけれど、この度の訃報に際して、本当に志村さんを大好きな人だけの思いのみが溢れ出している状況というのは、何か、違う気がしてしまう。

繰り返しになるのだけれど、間違いなくそれは美しいことで、決して否定しているわけではないのだけれど、何か、何かとしか形容できない、しかし本当に大切な何かが、少しだけ欠けているような気がしてしまう。だから、友人の思いに、覚えず強い共感を覚えた。

例えとしては微妙であるのかもしれないが、サイゾーでMJに関してのコラム特集みたいなものをやっており、町山智浩氏がなかなかに辛い内容を書いていたのだけれど、唯一尋常性白斑のことを、「あれはまだらに脱色するだけで、白一色になるものではないのに」みたいなことを書いて激しく突っ込んでいたところがあり、実際にマイケルがどうであったかはともかくとして、マイケル擁護派の理屈としては、病状の進行にあわせて、黒い部分ににあわせて塗っていたのを、色素が脱色してしまった範囲が増えていくにつれて、白にあわせて塗っていた――というもので、別に尋常性白斑だから、彼は真っ白になった、などとはこれっぽっちも言っていないわけで、ウェイン町山らしくない浅さだなと思った。しかし、それでも、どちらかといえばディス傾向の強かったそのMJ特集が行われたことを、僕は非常に好ましく思ったのであった。なんとなく、そんな感じ――と書いたところで、人に通じるかはいざ知らず。


話をVic Chesnuttに戻そう。

現在彼の公式サイトにおいて、2枚のアルバムから3曲ずつ、フリーダウンロードできるようになっている。彼は間違いなく惜しまれるべき才能であり、初めて彼の曲を聴けば、少なからぬ割合の人が、心に引っかかりのようなものを覚えるのではないか――と思う。 正直日記に貼ったYouTube動画であるとかは、まず見られないものであるのは百も承知なのだけれど、気が向かれた方はちょっとクリックしてみてはいかがだろうか。


表現などせずとも、人は生きることで必ず思いを残すことができるはずだけれど、形あるものを残すには、何某かの才能がやはり必要で、人が死んだ後に、その人が遺した形ある何かに触れることができるというのは、本当に特別なことであるに違いない。

そして、その遺されたものに人が触れ、色々な形の思いを抱くということは、世界を美しくすることができる、数少ない方法の1つであるように、僕には思えてならないのだ。

安らかに。

  

はてなブックマーク - Live Till I Die | 01:56 | 戯言 | comments(0) | trackbacks(0)
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