<< 志村正彦さん急逝 | TOP | Live Till I Die >>
JUGEMテーマ:音楽

フジファブリック志村正彦氏の訃報が、地味に効き続けている。

はっきり言って、今年は異常なまでに音楽を積極的に聴かない1年で、多分買って聴いていないCDはめでたく200枚を突破しているのだが、そんな中で、フジファブを聴いたのは数えるほどしかない。

もちろん、はっきりと好きなバンドであったとは言えるのだが、三沢やMJに比べてより大きい存在であったということは、正直なところ、間違いなく、ないのだ。しかし、今日も、どうにもぐずぐずし続けている。

それは、志村さんが若かったからだ。まだまだ未来があってよかったのだから。アベフトシが、ミッシェルの解散ライブを終える前に亡くなっていたら、我々はあんなものじゃいられなかっただろう。


人が死ぬことはほぼ無条件に悲しい。

それが若い人であればより悲しい。

愛されている人であればより悲しい。

その人を好きであればより悲しい。

そしてもう1つ、その人の人生がはっきりと分かるような気がすればするほど――それは勘違いや思い込みがほとんどなのだろうけれど――、より悲しくなる。


不謹慎な話だが、ワイドショーやニュースを賑わせている人の情報が増えて、その人生の輪郭がはっきりとしていくごとに、僕の中には何某かの感情か湧き上がってくる。

少し前に、女性詐欺師の事件が相次いで話題になったが、その際に僕は「この人生は僕が好きな類のそれだろうな」と思った。亡くなられている方もいるのに、このようなことを思うのはよくないことだろうとは思うのだが、より分かりやすく言い換えるなら、「この出来事がそのまま女性を主人公にした小説になっていたら、大きな衝撃を受けただろうな」といった感じだろうか。

そんな性向のおかげで、津山三十人殺しに触れたのは『八つ墓村』が初めてだったものの、河内十人斬りは、『告白』を読む随分前から知ってはいたものだ。その後詐欺師事件は、鳩山小沢・押尾再逮捕やらで一気にトップニュースの座から滑り落ちてしまったことを、正直に告白するなら、残念に思っている。


そして志村さんは同年代で、ほぼまったく同じ時代を生き、彼のその時々全てを注ぎ込んだであろう楽曲に幾たびも触れてきた人だ。その情報量はともかく、詞や曲や音を介した喚起力は、ニュースという名の「事実」よりも、時には比べ物にならないほど大きくなってしまうことはままある。

実際に、僕はニュースに相当するようなロッキンオンのロングインタビューのような類のインプットは一切していないというのに、なぜだか志村正彦という人生が途絶えてしまったことが、悲しくてならない。それは、都井睦雄の生い立ちだけを知り、初めて書籍や映画などで、その最期に何があったのかを知ってしまったような感覚であるのかもしれない。  

僕は本当に、今現在自分が人生というものに望んでいたものは全て得られたと思っているので、いつ死んでもいい、というのを通り越して、さっさと死んだ方がいいのではと結構本気で思っていて、少し前に自分としては人生やりきったしちょうどいいかなあ、などと思う人生リセットのタイミングがあった。結局、友人諸氏に怒られて、まあ恥をさらして生きながらえることにしたので、今もこうして日記を書いているわけですが。

今後自分の人生は、よっぽど運が良くて横ばい、普通であれば失っていくばかりであろうことが、はっきりと見えているように思えてならない。本来であれば、それほど幸せな状態で人生を閉じることに拘泥する必要はないと、正直なところ思ってはいるものの、しかしそれをよしとしない自分がいる。

僕にそう思わせているのは父親の人生で、近頃姉が母親と、「父が死んだらウチに連絡がくるのかな、こないといいのにね」などと言っていたことが、その感覚を非常に分かりやすく象っている。

これは、別に姉を悪く言いたいわけではなく、彼女サイドからすればそう思うことは理解できないこともないのだけれど、「そう思われる人生」があるということ――それは娘にそう思われるということを抜きにしても――を思うと、自分がそうなるのは、本当に勘弁してもらいたいと思わざるを得ない。

自分で言うことではないが、そりゃあ死ぬなと止められもする。止められないほどしょうもない人生は送っていない――と言いたいところだが、正直よっぽど酷くなければ、惜しんでくれる人は1人はいるものだろう。少なくとも僕は父が生きていればいいと思っている。会いたくはないけれど(苦笑)。


しかし、死ぬなと言う人は、決して「死ぬなと言ってもらえる人生」を今後保証してくれるわけではない。別に友人諸氏を悪く言っているわけではなく、そんなのは当たり前のことで、特に僕みたいな人間は、僕由来の何かがきっかけで友人に嫌われるなんてことは、余裕で起こり得るわけで、むしろその可能性が高いと言っても差し支えないだろう。

今現在の僕の幸せは死ぬなと言ってくれる人たちで形作られているので、そう言ってもらえること自体は驚きでも何でもないのだけれど、その人たちは決して今後も僕の幸せな人生を形作ってくれるわけではないし、そもそもそれを期待するのは傲慢すぎるのは百も承知ながら、完全に自分勝手なことを言っていいのであれば、「今後俺の幸せを保証してくれるのでなければ、気軽に死ぬなとか言うんじゃねーよコンチクショウ」と思っていた自分がいた。

しかし、それは本当に自分勝手なことで、それを言っちゃあお仕舞えよなことなので口にはしなかったものの、とりあえず生き長らえてみた現在ではあるが、釈然としないものははっきり言って未だに燻り続けている。


そんな中で、志村さんのような道半ばで突然終わってしまった人生を見ると、死ぬなという励ましの声以上に背中を押されるように感じてしまうことがある。

結局1つ1つの人生は小さな歯車でしかなく、どんなに我々が気が狂いそうなほどに人を愛して、その結果新たな命を授かったところで、それは拡大率を変えてしまえば一瞬でしょうもないメロドラマに着地してしまうのだろうし、それは愛される人のそれも愛されない人のそれも、おそらくはあまり変わりがないのだと思う。

しかしなぜだか、それに絶望する気持ちはなく、これからどれだけしょうもない人生になったとしても、人間の歴史を回している歯車としての役目を、自分から放棄してはいけないような気がしてくる。

歌手が歌い、舞踏家が踊り、レスラーが戦うことで更新してきた人間の歴史を、特にやりたいこともなく、営業も一切せずにただもらった仕事を何でも受けてどうにかこなしていくだけの僕は、ただ流れに任せて毎日寝て起きて、次にまた寝るまでの間に起こるイベントを脊髄反射的に消化していくことで繋いでいくことを、「人間」であることを課せられているように感じるのだ。

そうすることで、たくさんの人に謝らなければいけない気がする。本当に、取り返しのつかないことばかりして生きてきたように思えてならない。そして、それは生きているだけでさらに増えていくだけに違いないのだけれど、しかし生きることでしか赦されないようなアンビバレンツな感覚が身体の中に広がっていく。

それはさながら、人の死がどうしようもなく生を強くはっきりと浮き上がらせるギミックのようで、本当に、分からない。もしも父方と我が家が完全に切れてしまっているのであれば、僕の中では父は永久に生き続け、そして既に死んでいることになる。

死とは何だろう。単に知覚の範囲外にあることを、それすなわち死とは言えないはずだ。もしもそうであるならば、それはある種精神の平衡を保つためであるのかもしれないが、僕や多くの人々は、おそらく40億近い人々を殺して生きていることになる。本当は目を逸らしてはいけないのかもしれない、アフリカやチベットの人たちを殺すことで生きている――というのは、あまりにも人間に対しての要求としては苛烈すぎるだろう。我々はそれほど強くはないはずだ。

しかし、僕にとっては、間違いなく父はある種死んでいる存在で、それは、認識していた存在をその埒外に追いやってしまうことで、物理的なそれではないにせよ、死が立ち上ってくる――ということを証明しているのだろうか。ただ、もしかしたら、そうであるのかもしれないが、書いていていまいちすっきりとしない。


とはいえ、こんなことは僕なんぞに答えが出せるはずもないので、すっきりしないまま、いい加減寝ようと思います。

ただ、2つはっきりとしていることがあり、1つは、シュレーディンガーの箱の中の父に対する思いはどこかしら甘い感傷のようなものを伴っているのだけれど、認識の中にあり、そこから出ることがないまま知った志村正彦の死は、ただただ苦いばかりであるということ。そしてもう1つは、僕は――とするべきか、人間は、とするべきかは難しいところなのだけれど――それすらも、これから長い時間をかけて甘い衣をコーティングしていく――あるいはしていってしまう――のだということ。

まるで今が眠っていて夢の中にいるようで、これから起きるような感覚すらあるのだけれど、何にせよ、僕は今生きているのだということが、本当に不思議だ。
はてなブックマーク - 波 | 05:49 | 戯言 | comments(0) | trackbacks(2)
コメント
コメントする










この記事のトラックバックURL
http://diary.clue-web.net/trackback/1000430
トラックバック
2010/01/06 8:03 AM
押尾学被告が芸能界に復帰する可能性は絶望的となりましたね。また、気になるのが押尾学被告の供述によって、今後、その他の逮捕者が出るのかどうかですよね?
ダダ漏れ!裏芸能ニュース
2010/01/06 5:27 PM
引越しで只でさえお金がかかるのに、退去するのにもいっぱいお金がいるなんておかしくない? だって敷金だって払ってるのに、どうして余分にお金がいるんだろう...
日本賃貸住宅消費者機構