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観劇『THIS IS IT』
JUGEMテーマ:映画

最初にしょうもないところを書いておけば、『This is it(曲の方)』のクレジットがマイケルだけになっていましたね。字幕は差し替えないでいいということで手打ちとなったのか、あるいはポール・アンカは金さえ入ればクレジットなんて別にいいやということなのか(笑)。


ともあれ、人生初のIMAX観劇でして、もう予約しないと絶対に入れないのは明白で、かつクレジットカードがなければ予約できないので、お誘いいただいた方々のおかげで見られたようなものでございます。ありがとうございました(つーか通常スクリーンの上映でも基本満席な感じのようですが。殊に休日となると)。

ただ、そうは言っても、映画用に撮られた映像たちではなかったので、IMAXの凄さを映像的には体感できず。しかし、上映前のIMAX自慢のような広告映像の美麗さには驚きました。噂に違わぬ。あと、一般的にはベストの位置で観劇しましたが、IMAXだと後ろ過ぎるくらいの席を予約した方が目にいいと思います(特に字幕ですと)。ご参考までに。音に関しては、通常スクリーンでも見られた方が、やっぱりこっちの方がいいとのこと。まあ、そうじゃないと詐欺ですが。


まず、監督のケニー・オルテガの仕事は賞賛されるべきでしょう。元々舞台人で、マイケルとは長い付き合い。映画も、やったことはあっても、どうやら軽く検索してみたところミュージカル映画のようで、やっぱり基本舞台の人なんだと思います。

で、別にそれでよかった。映画的に特段ピックアップするべき手法や構成なんかは1つもなかったものと思われるのですが、そもそも映画を撮るべく撮影されたものではないのだし。そして、そうするだけ野暮になる作品でしょう。NHKのドキュメンタリーやフジテレビのNONFIXなんかを作る形でやるのがベストだったと思いますし、実際にオルテガはそんな仕事を心がけたのかな、と。

日本でのダンスの地位の低さというものは、常日頃一緒に仕事をしている、Perfumeや鳥居みゆきのバックで踊ったこともある、踊る映像作家エイプリルズのナカマノリヒサと溜息混じりに愚痴っているのですが、オープニングは全世界の超一流ダンサーだけにその存在が告げられたオーディションで、500人の中から選ばれた11人のダンサーの喜びの声から始まります。

ここで、すでに半分くらいのダンサーが泣いていて(1人は鼻水流しまくりの号泣レベル・笑)、多くの人がここを印象的な場面として挙げているように思うのですが、そういった人たちは、ダンスをどれくらい大きなものとして捉えているか、そしてその中でマイケルというのはどんな存在なのか――ということを、彼らのせいぜい1/10くらいのレベルでしか知覚できていない人がほとんどだと思います(そうしろ! というわけではありませんが、やはり日本では相対的にみて低すぎる、というのは間違いない事実かと……)。そうでなければ、「それは泣くよなあ」としみじみするものの特段驚くべきシーンではありません。

ただ、非常に良いシーンなのは間違いなく、最後のダンサーが(彼も泣きながら)「人生ってつらいだろ」といきなり語り出し(以下うろ覚え)、「だからこそ素晴らしい何かを探していた。そしてマイケルに出会ってこれだって思ったんだ」みたいな発言。英語だと最後が「This is it.」になるわけで、そこでタイトルバーン! ってなるのですが、逆に言えば唯一の映画であることを強く意識した演出はそこだったのかな、と。

映画として盛り上げようとすれば、最後にマイケルが亡くなってから(マイケルの死とそれ以降に関しては一切出てこない。グッジョブ)、ダンサーたちに話を聞いてそれを入れる――とかすれば、マイケルにさほど興味のない人はむしろ滂沱の涙、なんてことになっていたような気がするのですが、それをしなかったオルテガの矜持を強く感じました。


ちょっと話を戻しますが、日本人ダンサーKento Moriが、マドンナのO2アリーナ公演にて、マイケル急死を受けてプログラムを書き換えたマドンナが、彼にマイケルのソロダンスを踊らせたことと、彼がマイケルのO2公演のオーディションを知って、マドンナに契約の解除を申し出、マイケル本人からもマドンナに直談判があったものの、マドンナが首を縦に振らなかったことはテレビでも盛んに取り上げられていたために、ご存知の方も多かろうと思います。

しかし、そもそもショービズ界におけるマドンナとマイケルのライブの地位がどれだけであるかということ、マドンナのオーディションに合格することがどれほどの難関であるか、っていうことは、あまりこの国ではリアルにイメージされていない気がしますね。ビートルズとストーンズがライブのサポートで1人のプレイヤーを取り合う――とか、でもこの喩えでもどこかしっくりこないが、まあそんな感じかな、と思います。エリザベス・テイラーとマリリン・モンローとブリジッド・バルドーが加藤鷹を巡って争うとか。違うか。


閑話休題。先述のダンサーたちの喜びの声の前に、黒バックに白抜き文字でナレーションが入っています。「これはマイケルが個人的に撮影していた映像から〜」云々。最後に「ファンのために」とあって、その後、11人の中でも特に人懐っこい笑顔のダンサーの男性から本編が始まります。

本編は、基本的には曲を延々と流し続け、間にスタッフのインタビューなどが時折挟まれる構成になっています。曲のパートは、映画でメインとして使われているリハの音声に、それだけではなく、他のリハでの映像に時折切り替わるなどして進んでいきます(たまに画面が2、あるいは4分割になったりも)。

その中には、YouTubeを想起させるような解像度低すぎの映像もあり(多分その際のリハ映像は1パターンしかなかった気がするので、用意していたメインのカメラのマシントラブルがあった1日、だとかそんな感じだろうと思うのですが。あるいは本当にリハじゃなくって昔の映像を被せていただけかもしれません。それでも僕は勉強不足で気づかないでしょうし)、その画面の粗さは、「なるほど、個人的に撮影したものだったのかもな」と思わせて然るべきものでしたが、しかし全編そうだったわけではないし、おまけに先述のような推測もあり、観劇後ナカマさんなんかと、「個人的って言っても、元々公開する気だったんじゃないの?」みたいなことを言っていました。

もちろん無事に02アリーナ公演が完遂していたなら、当然ライブ映像がパッケージ販売されていたでしょうから、それの特典やオーディオ・コメンタリーなんかにはなっていたんじゃないかな、と(特にダンサーやバンドメンバーなんかのインタビューはそのために撮ったのでしょうし)。

しかし、観劇後食事には行ったものの、貧しさゆえに飲酒をビール1杯に留めていたので、冴えた頭のまま1人電車に揺られていたらば、どうもすっきりしない。

そして、その理由は何か考えていたらば、基本的には観劇中、涙など流す場面はなく、極上のエンターテイメントと、それを作るために人々がどらだけ心を砕いているのか――という、舞台なんかの「演出」って何だよ? と常日頃よく分かっていなかったりする僕のような人間は、是非見るべき! といった感じの様々な指示や折衝なんかに「スゲエなあ」とただただ思うばかりであったのですが、その中で唯一、それがはっきりと映る瞬間に、心に悲しみが湧き上がっていったマイケルのしわがれた手の甲であると、個人的には腑に落ちました(それとはまた別に、1つ非常に印象的なシーンがあったものの、それは最後で触れます)。

50歳としても、あまりに衰えすぎているその手。こんな手を、マイケルはファンに見せるのだろうか――と考えると、どうも答えはノーであるように思えてならず、やはり個人的な記録であったような気が、ふつふつとしてきたのでありました。



2003年の『One More Chance』。

この1:46辺りが、まあちょっと歳が出ちゃってる感のある手の甲ですが、しかし6年後に自然にこうなったわけではなく、多分マイケルは常に燃料の残りが一杯一杯で、これも相当メイクで頑張ってこうなっちゃっているのではないかと思います。ライブ本番であのまま出るとは到底思えない。メイクで誤魔化しが利かないレベルであったなら、今回のライブは一時期のイメージだけを強く負うものであってはいけないという思いもあるかとは思うのですが、それでも手袋を着用していた気がするし。

また、本番用であるかは分からないけど、リハで着用していた衣装は、基本的にタイトなシルエットであるように見せながら、職人一流の仕立てで、それでも少し幅を広く見せる工夫がされていたと思うのです。しかし、スタジオにてスクリーンで流す用のグリーンバック映像を撮影しているスタジオにマイケルが来た時(要するに、それでも高い服ではあるだろうけど平服)の、彼の太腿のシルエットの細さといったら……!

よくマイケル死後、実際にライブを行っていても、身体がもたなかったのでは――という声が上がっていたものですが、手の甲と並んで、本当にそうだと思うに充分のものでした(ちなみに、唯一リハ映像でも、『Smooth Criminal』の際の太腿は怖いと感じました)。

ただ、確かに手はしわがれて、足も笑っちゃうくらい細いのだけれど――特に、一流のダンサーというのは身体を鍛え抜いているので、男性ダンサーの立派な脚なんかと並ぶと凄い差――、マイケルのキレの良さったら、もう凄かった。

ロジカルな筋力や瞬発力なんかとは別次元で、いくらでも軽やかに、いくつになってもマイケル・ジャクソンたりえるその動きは、何だかコントでも見せられているかのようで、おかしみさえ覚える自分がいました。声も出てたなあ。 実際、飛び跳ねたりバク転みたいなアクションをする振りはないので、そこまで筋力は必要なかったのかもしれないけど、しかしあの痩せこけた身体であのキレ、あの歌声っていうのは、本当に天性のギフトなんだろうなあ、とつくづく。

それと、バンドの鉄壁さね。敢えて言うならコーラスと、金髪のお姉さんギタリストOrianthi Panagaris(男女問わない金髪の人枠で華は抜群。腕も間違いなく一流でリードとしては充分すぎるほど乗せてくれるのだけれど、Tommy Organが凄すぎるというか)が少し落ちるかな、といったことろなんだろけど、まあ凄いもんです。完璧主義者なのは百も承知なのだけれど。

個人的に強く印象に残っているシーンを1つ挙げるなら、『Earth Song』の時に、床に埋め込まれているクレーン(直径1mくらいの足場部分に、手すりが半分くっついている)にマイケルが立った時のオルテガ。そのまま曲のリハに入って大丈夫だよ、と言うマイケルに、頼むから試してみてくれと何度も頼み込むオルテガ。完璧主義者マイケルのクールな姿が目立つ本作で、子供っぽさが一番可愛らしく出ていた場面だと思いました。

ヒストリー・ツアーの時の『Earth Song』と同じく、手すりにぶら下がって懸垂で戻るアクションをかまされでもしたら、大変だと思ったのかしら。このツアーの舞台監督もオルテガだったはずだし。

そんなことはしなかったろうけど、実際にそうしていたなら、危なかったんだろうなあ――とは正直思います。体重軽すぎてそんな腕力必要なかった、なんてことも考えられるけど。ともあれ、重ねてお願いするオルテガに、「分かった、ケニーのためにやるよ」と苦笑いをするマイケル。微笑まし過ぎるにも程がある光景なのに、心配されてた方がこの後本当にぽっくり逝ってしまったのだから、諸行無常と言うよりほかないですね。


とにかく、音楽好きならマイケルに興味がなくても見ておいた方がいいし、そうでなくとも何かの表現を志している人は、その中の一分野の紛れもない最高峰と、それを作り上げるために人々はどのようにしているのか――というのを目の当たりにしておくべきでしょう。

そんな本作において、僕が最も印象に残ったのは、「ファイナルカーテンコ〜ル」なんて言っている映像をご覧になった方も多かろう、CMやトレーラーでマイケルが「This is it」と言っているあの部分の元である、O2アリーナ公演を発表する会見の際の映像でした。

これは時系列的にそのまま並べているのか、オルテガの意図的な編集を経てのものか分かりませんが、マイケルを熱狂的に歓迎するファンの姿を映した後、一瞬マイケルが顔を手で覆うようにして俯くシーンがあります。僕は人前で、本当に例外的なケースを除いては――と書いてはいるものの、実際にそんなことがあった記憶も特にないくらいに――人前では泣かないし、泣けないつくりに出来ている人間だと思うのですが、この瞬間だけは、身体の中で何かが爆ぜる感覚がありました。

マイケル・ジャクソンは、本当にファンのことを愛していて、そして、ファンの愛情だけが最晩年の彼を生かしてきたのだという、これはもう言い切ってしまいましょう。その「事実」。

エヴァン・チャンドラーが息子に虚偽の証言をさせたということが、最早本当でも嘘でも、僕にはあまり関係がなく、ただ、巨額の和解金を支払ったあの裁判以降、それでもマイケルはファンを愛しファンに支えられ生きてきたこと。巨万の富を手に入れたエヴァンが、ピストルで自らの頭を撃ち抜いてしまったということ。この2つの現実は、僕の目に本当に美しいものとして映ります。

これでマイケルが生きてさえいれば完璧な気もするし、反対にマイケルが死んでしまったからこそそう感じるのかもしれないという相反する感覚にぼんやりと支配されながらも、本当に、人生とは美しいとつくづく思わずにはいられません。どこまでも残酷で、どこまでも愛に満ち溢れている。

無慈悲が慈悲を照らし出し、絶望が希望を炙り出し、マイケルやエヴァンの死は、我々の生を濃く強く縁取り、しかしその線はいつしか溶けるように歴史に染み入って、いつか僕たちも土に返る時がきてしまう。その時までに、いくつの「THIS IS IT」を見つけられるのでしょうか。


本項はこれにて終わりですが、僕がマイケルが喜びと生の感動を噛み締めていると受け取った先述の会見シーンでの姿が、いつか書くレスラーシリーズの続きの、剛竜馬の死についての話に繋がる予定です。

  

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2010/01/15 7:49 AM
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