2012.03.08 Thursday
(1つ前のエントリーの続きです)
この件に関して僕が最も違和感を覚えた点は、前項の最後にある、亡くなった方に対する「一定の敬意」の欠如だ。
まあ、僕個人がそう思ったというだけの話でしかないのだけれど、渡邉氏をこの件で叩いている人たちにとっては、この1人の人間が自ら命を絶ったという悲しい物語は、ただの材料でしかないように見えた。僕も渡邉氏が好きか嫌いかで言えば、明らかに苦手なほうではある。しかしあまりに品がないのではないか――と。
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この件に関して僕が最も違和感を覚えた点は、前項の最後にある、亡くなった方に対する「一定の敬意」の欠如だ。
まあ、僕個人がそう思ったというだけの話でしかないのだけれど、渡邉氏をこの件で叩いている人たちにとっては、この1人の人間が自ら命を絶ったという悲しい物語は、ただの材料でしかないように見えた。僕も渡邉氏が好きか嫌いかで言えば、明らかに苦手なほうではある。しかしあまりに品がないのではないか――と。

https://twitter.com/neet_gimi
下から順になってます。
僕は湾岸戦争が始まりを告げたあの瞬間に、テレビのニュースに映る光の束を「キレイだなあ……」と、一瞬だか見ている間ずっとだったか、今ではよく分かりませんが、とにかくそう思いながら見てしまっていた人間なのですが、後にその瞬間のことをふと思い返した際、自分の想像力の欠如に対する怒りと同時に、「下に人や街があるのは分かっていたけど、それでもキレイだと思ってしまったんだよなあ」という、諦めにも似た感情が浮かび上がってきたことを今でもよく憶えています。それこそシュトックハウゼンの言った自体は、分からなくもないというか(同時多発テロに対して「想像できる限り最高の芸術的な行為」と発言。すぐに謝罪した)。それから、
「そりゃあ戦争を起こす人間は憎らしいけど、でもあれを少しでもキレイだと思ってしまった俺には、最早それを批判する権利なんてないんじゃないのか?」
などと考えたり。
僕は爆撃機乗りが、眼下に向かって爆弾を投下する瞬間、頭の中に何がしかの感情があるのだとすれば、それは、投下する対象への憎しみよりも、その対象のことを考えないようにする気持ちだと思っています。どんなに憎らしかろうが、戦争の中に身を置いて狂気に囚われていても、やっぱりそのボタンって押したくないものだと思う。というか、そう信じたい、って感じですが。
昔であれば、“戦争から無事に生還した人間ほどその後心を壊す”という1つの類型の背景には、正に無事に生きて帰ってきたからこそ、それだけ多くの人を傷つけ殺し、あまつさえ狂気に流されるまま、略奪や暴行に参加したことだってあるかも――」といった推測を働かせることが容易だったわけです。後方支援などに従事していたわけでもなければ。そして、そんな風に病気になってしまう人というのは、どんなにそれをしている間には、濁流のような感情に飲み込まれていて、何も感じないままに殺人や簒奪行為をしていたとしても、結局心の奥底では、傷つかないようにしまいこんでいた良心が悲鳴を上げ続けていたということだと思います。基本的には、というエクスキューズはどうしても必要ですが。
しかし今や、戦争は恐ろしい進化の過程にあって、原子爆弾を広島や長崎に落とすのに、B29から眼下に広島や長崎の街を臨む必要もなく、ただ見えない対象に向かってボタンを押すだけ。「見えない」いうことはさらなる想像力の欠如を招き、より戦争を乾いたものにしていくでしょう(去年くらいに、そういう弾道ミサイルだとかを管理している人ほど、心を病むみたいな米軍のデータを見た記憶もあるのですが、実際のところがどうであるのかとはあんまり関係ないので、そこら辺はスルー願います)。
1つの日本刀でそんなに切れるはずが無い、といった見地から、アジア太平洋戦争における日本軍の、中国での所謂「百人斬り」は実際にはなかった、という説がありますが、僕は心情的にもそれはなかったと思っています。これも、思いたい、という類の感情ですが。
目の前にいる生きた人間を、どんなにそれまで敵国の人間は人間ではないといった感情に身を任せて戦ってきたとしても、100人も続けて殺せるはずがない、と思うわけです。どうしたって、助けを求める被害者の叫びに、自分と同じように家族や愛する人たちがいて、日々を必死で生き抜いてきた同じ人間だということを思い出さざるを得ないのではないか、と。
僕は戦争のことはちっとも詳しくないので、この事件があったとする人に、「上官の監視の下最後まで斬り続けさせられたんだ」などと言われては、特に反論のしようもないのだけれど、とにかく実際にあったなかったではなく、あったとしても絶対に、途中でもうやりきれない気持ちでいっぱいになるはずだ、ということで。
しかしこのロボットではどうでしょうか。もしこのロボットが戦場に派遣されそのような状況になったとしたら。シューティングゲームの感覚で、我先にと競って人を撃ち殺していく。そんなことになりはしないでしょうか? モニタの先の光景が、正にゲーム画面の中のように思えてしまい、ハイスコアを競い合うように、対象にマシンガンをぶっ放す。
そうならないためには想像力が必要で、その想像力は、きっとなくならないであろうと、正直なところ思ってはいるのですが、それはそれとして、世界から戦争をなくすことの出来る唯一の「力」なのではないか、と思います。自戒の念をこめて。