2009.06.30 Tuesday
また三沢とは別の話。
このレスラーシリーズじゃない、1つ前のマイケル・ジャクソンが亡くなった日に書いた日記で、彼の整形のことについて書いている。
日本に生まれ育ってワイドショーでしかマイケルを見たことがない若い人は、なんでこんなに騒がれているのかよく分からないどころか(それは三沢についても同様のことでしょうが)、整形ショタコン漂白(漂白て・笑、という話だけれど、どうもこの国ではそうでもないようで……)お化けみたいなイメージを持ってしまっている人も多いのだろうなあ、と正直思っている。
裁判についてはもう決着がついているのだからもうどうでもいい話だけれど、整形に関しては、マイケルを整形に失敗した元スター、程度にしか思っていない人には、おそらく僕はイラッとくる。しかしそんな僕が彼の死に大きな衝撃を受けている原因として、マイケルの顔があんな風になってしまったことが、確実に作用していたりもする。我ながら酷い話だ。
とりあえず、ここではマイケルが自らの容姿を変えたかった――と思っていたのか否かは、あまり関係のない話なので、とりあえず、まず最初の整形は事故にあった際の施術であったということ(まあ、これは議論するまでもなく確定としてよいことでしょうが)、そして、その後繰り返された手術も、その後の鼻のメンテナンスのためでしかなかった。ということにしてしまう。
それではあまりに好意的に見すぎではあるし、少なくとも顎は割っているわけだけれども、そこら辺も本稿では置いておく。なぜなら、繰り返しになるけれども、これから書くことにはなぜ手術をしたかはまったく関係ないからだ。整形外科だろうが形成外科だろうが知ったこっちゃない。
で、こんなことを言っては、悼むどころか失礼なだけだろうと自分でも思うのだけれど、僕には何であんな顔になっちまったんだ、と思えてならないわけだ。だって、おかしいじゃないか。
実際最初の手術では、非常に整った鼻になったわけだ。実父から性的虐待を受けていたという説を是とすると、トレードマークでもあったぷっくりとした丸鼻とお別れして、その頃の記憶を遠ざけることができたことに対する感動が、彼に何度も整形を行わせた――といった説に説得力を持たせるくらいにさ。
それが、どうしてあんな風になってしまうわけ? それも、対セレブ専門のブラック・ジャックも逃げ出すような(免許は持ってるけど)美容整形医がいたりするような彼の国で、だ。日本のアイドルが海外ロケから帰ってきたら整形失敗してました、っていうのとは話が違いすぎる。
なぜ、「マイケル・ジャクソンの整形手術」が、あんな結果を生んでしまうのか、ということだ。それについて想像を巡らせれば巡らせるだけ、僕はプロレス的なブルースにやられて胸が一杯になってしまう。
マイケルが倒れた際に側にいた、その経歴がかなりグレーだという専属医だとか、彼からさまざまなものを奪っていった大人たちだとか、今日のSMAP×SMAPでも爆発していたけど、美術セットに感動して絶賛するような、生きているときの姿であれば、苦笑いしか浮かばないくらいの真っ直ぐすぎる童心だとか――、
そんなピースを勝手に出歯亀的好奇心で繋ぎ合わせると、僕は勝手に、この人は自分の顔にメスを入れるようなことすら適当に摺り寄ってくる人間に任せてしまったのかなあと思えてならない。そして、それが真実であるかどうかは正直どうでもいい。これはあくまで、そんな幻想を僕に与えられる人間がどれだけいるのか、という話だ。
前の日記でエンターテイナーに徹した、って書いたけど、でも実はマイケルは『We Are The World』を挙げるまでもなく、政治的な活動も非常に多かった人だけれど、彼の立場って、一貫して、悪く言えば子供チックな、「困っている人を放っておけない」というものだった。
彼はおそらく(個人的には間違いなく、と確信しているけど)コソボ紛争に胸を痛めて曲を書き下ろしたその筆で、セルビア人が謂れのない差別を受けているシーンに遭遇したら、止めろと声を張り上げてセルビア人に捧げる曲を書ける人で、背景とか、歴史とか、多分関係ないんだよね。人が苦しんで、明らかにどう見ても悲しい死に方してるじゃないか、ってなったら黙っていられないんだと思う。
それって、本当は、多分人間として一番正しい姿勢だと思う。だけど、ちょっとでも何かに、1mmでも寄ってしまえば、その反対側にいる人たちからとんでもない糾弾を受ける羽目になるから、皆怖くてそんなことはできないし、怖くなくったって、そんな面倒なことは考えたくないから、自分の立ち位置をまず決めてから、反対側からは盲目になってしまうマジックミラーみたいなフィルターを通じて世界の色んな悲しいニュースに相対しているんだと思う。極端な例を挙げるなら、韓国人をチョンって言って貧しい自尊心を慰めてる日本人だとか。
でも、逆に言うなら、マイケルはそんな不誠実ができない人間だったから、こんな風になってしまったんだと思う。今って本当に正しく生きようとするとすぐ気が狂ってしまえる時代だから。
それが事実であれ嘘であれ、マイケルと同じくらい世界がその人を失ったことが大きなトピックとなったケースって、ジョン・レノンくらいだと思うけど、ジョンがIRAを援助していた、っていうのと同じような話、絶対マイケルには出てこない。良くも悪くも、それがマイケル・ジャクソンっていう人なんだと思う。苦しんでいる人に、差し伸べられるなら手を差し伸べるべきだっていう、笑っちゃうくらい簡単な金科玉条が、彼を芸術家にさせなかったんだと思う。
黒人は明らかな不利益を被っているんだから、才気溢れる黒人ミュージシャンが、自らのルーツに拠って、そして寄って、強烈なカリスマと政治的メッセージをまとっていくのって、至極当然のことだと思うのだけれど、それすらもマイケルにしたらナンセンスだったんじゃないかなって。どんなに悲しい歴史や大前提があったとしても、それでも一旦全てをフラットにして見なければ、決して差別なんて無くなりはしないってことを、マイケルは分かってたんだよ。
ただ、僕もそんな偉そうなことを言える人間ではないけど。中国も韓国もそんなに好きじゃないし、はっきり言ってしまえば、もしもアメリカで黒人差別がなくなったら、その代わりに白人差別が生まれるだけだろうと思っているのが僕という人間だ。マイケルが聞いたら悲しむだろうけど。
もう三沢じゃねえどころか、マイケルばっかじゃねーか、って話だけど、ここまで長々と書いたマイケルの整形のことを思うと湧き上がってくる感情って、実はその総量はともかく、初めて味わう類のものではない。
そして、それを以前味わったのは――というところでようやくプロレスに話が戻ってくるんだけど、それが何かと言うと、三沢光晴の人生に非常に大きな影を落としたジャンボ鶴田の最期だったりする。
すでにプロレスは引退していたのだけれど、肝臓を病んだ鶴田は国内での親族間の生体肝移植を断念して、海外での脳死肝移植を決意する。そしてオーストラリアに発った鶴田は、2000年5月にフィリピンのマニラでドナーが見つかり、彼の地に渡って手術を受けるも、移植後に合併症で――とかならまだしも、術中に大出血を起こして死亡してしまった。
ホントにビックリしましたよ。で、思いましたよ。「何で鶴田がフィリピンで肝臓移植の手術中に死ななきゃいけないんだ」って。
「――何でも何も、フィリピンでドナーが見つかったからじゃないか」
はい、そんなのは百も承知です。
「――フィリピンじゃなかったらいいのか、アメリカだったら違ってたのか?」
そうですよ、失礼は百も承知ですけどアメリカだったらこんなにビックリしてないですよ。つーか正直医者の腕のせいだって勝手に確信してますよ。
これも、別に僕が正しいか正しくないかはどうでもいい話で、僕にこんな悲しみを抱かせるのは、プロレスラーの死に様ぐらいだろうっていうことが主題。
もしも辰吉が、タイの屋台で喧嘩に巻き込まれて死にでもしたら、もっと衝撃を受けるのかもしれない――とは思うのだけれど、正直辰吉の美しさって物凄くプロレス的だよな、って僕は思っている。
ともあれ、整理がついていない文章で申し訳ないのだけれど(しかしこの文章が僕のためにしか書かれていないことは最初に断ったとおり)、僕にとって鶴田がフィリピンで死んだことと、マイケルの顔があんなことになってしまったことって、凄く分かちがたく結びついているのだ、という話。
続く。
このレスラーシリーズじゃない、1つ前のマイケル・ジャクソンが亡くなった日に書いた日記で、彼の整形のことについて書いている。
日本に生まれ育ってワイドショーでしかマイケルを見たことがない若い人は、なんでこんなに騒がれているのかよく分からないどころか(それは三沢についても同様のことでしょうが)、整形ショタコン漂白(漂白て・笑、という話だけれど、どうもこの国ではそうでもないようで……)お化けみたいなイメージを持ってしまっている人も多いのだろうなあ、と正直思っている。
裁判についてはもう決着がついているのだからもうどうでもいい話だけれど、整形に関しては、マイケルを整形に失敗した元スター、程度にしか思っていない人には、おそらく僕はイラッとくる。しかしそんな僕が彼の死に大きな衝撃を受けている原因として、マイケルの顔があんな風になってしまったことが、確実に作用していたりもする。我ながら酷い話だ。
とりあえず、ここではマイケルが自らの容姿を変えたかった――と思っていたのか否かは、あまり関係のない話なので、とりあえず、まず最初の整形は事故にあった際の施術であったということ(まあ、これは議論するまでもなく確定としてよいことでしょうが)、そして、その後繰り返された手術も、その後の鼻のメンテナンスのためでしかなかった。ということにしてしまう。
それではあまりに好意的に見すぎではあるし、少なくとも顎は割っているわけだけれども、そこら辺も本稿では置いておく。なぜなら、繰り返しになるけれども、これから書くことにはなぜ手術をしたかはまったく関係ないからだ。整形外科だろうが形成外科だろうが知ったこっちゃない。
で、こんなことを言っては、悼むどころか失礼なだけだろうと自分でも思うのだけれど、僕には何であんな顔になっちまったんだ、と思えてならないわけだ。だって、おかしいじゃないか。
実際最初の手術では、非常に整った鼻になったわけだ。実父から性的虐待を受けていたという説を是とすると、トレードマークでもあったぷっくりとした丸鼻とお別れして、その頃の記憶を遠ざけることができたことに対する感動が、彼に何度も整形を行わせた――といった説に説得力を持たせるくらいにさ。
それが、どうしてあんな風になってしまうわけ? それも、対セレブ専門のブラック・ジャックも逃げ出すような(免許は持ってるけど)美容整形医がいたりするような彼の国で、だ。日本のアイドルが海外ロケから帰ってきたら整形失敗してました、っていうのとは話が違いすぎる。
なぜ、「マイケル・ジャクソンの整形手術」が、あんな結果を生んでしまうのか、ということだ。それについて想像を巡らせれば巡らせるだけ、僕はプロレス的なブルースにやられて胸が一杯になってしまう。
マイケルが倒れた際に側にいた、その経歴がかなりグレーだという専属医だとか、彼からさまざまなものを奪っていった大人たちだとか、今日のSMAP×SMAPでも爆発していたけど、美術セットに感動して絶賛するような、生きているときの姿であれば、苦笑いしか浮かばないくらいの真っ直ぐすぎる童心だとか――、
そんなピースを勝手に出歯亀的好奇心で繋ぎ合わせると、僕は勝手に、この人は自分の顔にメスを入れるようなことすら適当に摺り寄ってくる人間に任せてしまったのかなあと思えてならない。そして、それが真実であるかどうかは正直どうでもいい。これはあくまで、そんな幻想を僕に与えられる人間がどれだけいるのか、という話だ。
前の日記でエンターテイナーに徹した、って書いたけど、でも実はマイケルは『We Are The World』を挙げるまでもなく、政治的な活動も非常に多かった人だけれど、彼の立場って、一貫して、悪く言えば子供チックな、「困っている人を放っておけない」というものだった。
彼はおそらく(個人的には間違いなく、と確信しているけど)コソボ紛争に胸を痛めて曲を書き下ろしたその筆で、セルビア人が謂れのない差別を受けているシーンに遭遇したら、止めろと声を張り上げてセルビア人に捧げる曲を書ける人で、背景とか、歴史とか、多分関係ないんだよね。人が苦しんで、明らかにどう見ても悲しい死に方してるじゃないか、ってなったら黙っていられないんだと思う。
それって、本当は、多分人間として一番正しい姿勢だと思う。だけど、ちょっとでも何かに、1mmでも寄ってしまえば、その反対側にいる人たちからとんでもない糾弾を受ける羽目になるから、皆怖くてそんなことはできないし、怖くなくったって、そんな面倒なことは考えたくないから、自分の立ち位置をまず決めてから、反対側からは盲目になってしまうマジックミラーみたいなフィルターを通じて世界の色んな悲しいニュースに相対しているんだと思う。極端な例を挙げるなら、韓国人をチョンって言って貧しい自尊心を慰めてる日本人だとか。
でも、逆に言うなら、マイケルはそんな不誠実ができない人間だったから、こんな風になってしまったんだと思う。今って本当に正しく生きようとするとすぐ気が狂ってしまえる時代だから。
それが事実であれ嘘であれ、マイケルと同じくらい世界がその人を失ったことが大きなトピックとなったケースって、ジョン・レノンくらいだと思うけど、ジョンがIRAを援助していた、っていうのと同じような話、絶対マイケルには出てこない。良くも悪くも、それがマイケル・ジャクソンっていう人なんだと思う。苦しんでいる人に、差し伸べられるなら手を差し伸べるべきだっていう、笑っちゃうくらい簡単な金科玉条が、彼を芸術家にさせなかったんだと思う。
黒人は明らかな不利益を被っているんだから、才気溢れる黒人ミュージシャンが、自らのルーツに拠って、そして寄って、強烈なカリスマと政治的メッセージをまとっていくのって、至極当然のことだと思うのだけれど、それすらもマイケルにしたらナンセンスだったんじゃないかなって。どんなに悲しい歴史や大前提があったとしても、それでも一旦全てをフラットにして見なければ、決して差別なんて無くなりはしないってことを、マイケルは分かってたんだよ。
ただ、僕もそんな偉そうなことを言える人間ではないけど。中国も韓国もそんなに好きじゃないし、はっきり言ってしまえば、もしもアメリカで黒人差別がなくなったら、その代わりに白人差別が生まれるだけだろうと思っているのが僕という人間だ。マイケルが聞いたら悲しむだろうけど。
もう三沢じゃねえどころか、マイケルばっかじゃねーか、って話だけど、ここまで長々と書いたマイケルの整形のことを思うと湧き上がってくる感情って、実はその総量はともかく、初めて味わう類のものではない。
そして、それを以前味わったのは――というところでようやくプロレスに話が戻ってくるんだけど、それが何かと言うと、三沢光晴の人生に非常に大きな影を落としたジャンボ鶴田の最期だったりする。
すでにプロレスは引退していたのだけれど、肝臓を病んだ鶴田は国内での親族間の生体肝移植を断念して、海外での脳死肝移植を決意する。そしてオーストラリアに発った鶴田は、2000年5月にフィリピンのマニラでドナーが見つかり、彼の地に渡って手術を受けるも、移植後に合併症で――とかならまだしも、術中に大出血を起こして死亡してしまった。
ホントにビックリしましたよ。で、思いましたよ。「何で鶴田がフィリピンで肝臓移植の手術中に死ななきゃいけないんだ」って。
「――何でも何も、フィリピンでドナーが見つかったからじゃないか」
はい、そんなのは百も承知です。
「――フィリピンじゃなかったらいいのか、アメリカだったら違ってたのか?」
そうですよ、失礼は百も承知ですけどアメリカだったらこんなにビックリしてないですよ。つーか正直医者の腕のせいだって勝手に確信してますよ。
これも、別に僕が正しいか正しくないかはどうでもいい話で、僕にこんな悲しみを抱かせるのは、プロレスラーの死に様ぐらいだろうっていうことが主題。
もしも辰吉が、タイの屋台で喧嘩に巻き込まれて死にでもしたら、もっと衝撃を受けるのかもしれない――とは思うのだけれど、正直辰吉の美しさって物凄くプロレス的だよな、って僕は思っている。
ともあれ、整理がついていない文章で申し訳ないのだけれど(しかしこの文章が僕のためにしか書かれていないことは最初に断ったとおり)、僕にとって鶴田がフィリピンで死んだことと、マイケルの顔があんなことになってしまったことって、凄く分かちがたく結びついているのだ、という話。
続く。


